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観光スポット検索結果 188件

  • ジャンル:「文化財・史跡」
  • 地域:「全エリア」
  • こうもり塚古墳
    6世紀に築造された全長約100mの前方後円墳で、奈良の石舞台古墳と同規模の巨大な横穴式石室があります。石室の中央には石灰岩の一枚岩をくり抜いて造った家形石棺が安置されています。1967年(昭和4...
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  • 那須与一の墓
    1185年2月19日、四国屋島の合戦で弱冠17才の那須与一は、扇の的を見事一矢で射落とした軍功により備中荏原荘など5ヵ所の領地を賜りました。この墓は古くから扇の的一射必中の故事にあやかって願い事...
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  • 小笹丸城跡
    本丸、二の丸、三の丸と、段重ねのケーキのように彫りが鋭く、中世城砦の名残を色濃くとどめる城址です。 また、遠藤周作氏の小説「反逆」の舞台としても有名です。
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  • 重玄寺跡
    1441年、芳井町天神山に建立された重玄寺は、度重なる火災により全焼し、昭和49年に現在の場所へ移築されました。一説には画聖・雪舟が没した場所であるとも言われており、今は墓所と土蔵を残すだけとな...
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  • 桜渓漢学塾公園
    1851年母の看護の為に帰郷した学者阪谷朗廬(ろうろ)が若者の育成を目指して開いた漢学塾の跡地。現在では、記念碑があります。
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  • 木山捷平生家
    戦前、前後を通じ詩人・小説家として活躍した木山捷平の誕生地です。
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  • 常山城跡
    戦国時代に築城された城で一四の曲輪からなる「連郭式山跡城」。 県下有数の山城で、城主としては上野氏・戸川氏・伊岐氏などが知られています。 中でも「常山女軍の戦い」は有名で、天正3年小早川隆景が備...
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  • 矢筈山(矢筈城跡)
    現在の津山市加茂町にあり、岡山県北や鳥取県南部を勢力化に置いた草刈衡継が築いた県内最大級の中世山城です。
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  • 弥生住居跡
    弥生時代中期の住居が復元された大小5つの住居跡や作業所跡などがあります。隣接する弥生の里文化センターと合わせ見学ができます。
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  • 美作滝尾駅
    のどかな田園地帯にたたずむ木造駅舎です。この駅で映画「男はつらいよ」シリーズ最終作「虹の花」のファーストシーンが撮影されました。鉄道マニアの中では戦前に作られた木造の駅舎として知られていましたが...
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  • 美作千代駅
    大正12年、作備線(現在の姫新線)に建てられました。プラットホームや階段は大正時代の面影を残しています。
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  • 美作河井駅・手動転車台
    1931年9月12日開業の、現在も開業当時の木造駅舎がそのまま使われています。 また、以前はラッセル車の向きを変えるために使用されていた転車台があります。これは、使用されなくなり土中に埋まって...
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  • 三浦駅
    昭和38年4月1日に開業した因美線唯一の新設駅。早春には桜のトンネルができ絶好の撮影スポットとなります。
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  • 松ボウキ橋梁
    美作河井駅~知和駅間に架かる石造りの鉄橋で、その橋を通る列車との風景は鉄道ファンにとって絶好の撮影スポットです。
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  • 知和駅
    開業以来ほとんど手の加えられていない昭和6年当時の古い駅舎で、秘境駅ランキングにも入っている秘境の駅です。
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  • 蒸気機関車C11-80号
    1976年から津山市立南小学校敷地に設置しているSL「C11-80号」を、津山の玄関口の新たなシンボルとして2017年に津山駅北口広場に移設されました。
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  • 矢筈城跡
    尼子氏に従って美作に入った草苅氏が天文2年(1533)に築城。城郭の範囲は、東西1.6km、南北0.5kmで、県内最大級の規模。天正12年(1584)に草苅氏が退城するまで約50年間一度も落城し...
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  • 箕作阮甫旧宅
    幕末(19世紀初めごろ)の洋学者である箕作阮甫の生誕地。阮甫は21歳で津山藩医となり、後に江戸に出て洋学を学んだ。カラフト問題でロシアと交渉した時の日記「西征紀行」はよく知られている。
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  • 美和山古墳群
    津山市街地の西方の丘陵上に並んだ数基の古墳群を呼ぶ。最高所には全長約80mの前方後円墳の胴塚、南に下がって直径約40mの蛇塚と同規模の耳塚の円墳が続いている。古墳時代中期のもの。
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  • 美作国分寺跡
    吉井川近くの台地上に所在する古代寺院。主要伽藍が判明し、遺構の残存状況は良好である。出土した瓦から中央との強い関係が想定され、古代美作国の政治情勢を示す上でも重要である。
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