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観光スポット検索結果 188件

  • ジャンル:「文化財・史跡」
  • 地域:「全エリア」
  • 備前国分寺跡
    741年、聖武天皇により全国に建てられた国分寺の一つです。東西約175m、南北約190mの塀に囲まれた境内には、主要な建物が一直線に並び、南東に塔があったことが発掘調査によってわかりました。平安...
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  • 南方前池遺跡
    縄文から弥生時代の遺跡。特に縄文晩期にトチ、ドングリなどの食糧を貯蔵していた穴が残されており、当時の生活を知る貴重な遺跡として知られています。
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  • 朱千駄古墳
    全長85m、史跡両宮山古墳が作られた後の5世紀末の前方後円墳です。納められていた石棺から、古墳の名前の由来となった大量の朱の他に、銅鏡、玉類、鉄器類などが見つかりました。周辺には両宮山古墳をはじ...
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  • 田原用水水路橋(石の懸樋)
    元禄年間、岡山藩の重臣・津田永忠のもと、田原用水を西に延長するために架けられた水路橋。現在は、小野田川から記念公園に復元移転されています。
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  • 仲﨑邸
    明治から大正にかけて建てられた、築約100年の大地主の邸宅です。 再生されて邸宅や地域の郷土資料などが公開されています。
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  • 福岡城跡
    観応元年(1350)に足利尊氏がこの城を、子・直冬の離反を鎮圧するため西下の途中、40日余り本陣にしたといわれています。
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  • 二塚山古墳
    牛窓湾を廻る5基の大型前方後円墳の一つで、湾の西端の丘陵上にあり、全長約50m。円筒埴輪その他副葬品が多数出土しています。
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  • 砥石城跡
    標高約100メートルの丘陵上に築かれた連郭式山城です。山頂を本丸として、いくつかの出曲輪で構成する南北約300メートルの縄張りとなっています。本丸跡西側石垣の一部に古い時代のものが残っています。...
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  • 築山古墳
    前方後円墳。墳頭には縦1.7m、横0.7mの家形石棺が剥き出しの状態で置かれています。1896年(明治29年)に鏡、刀、勾玉、管玉などが多数発見され、現在は東京国立博物館に収蔵されています。
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  • 鹿歩山古墳
    牛窓港背後の鹿歩山(海抜約90m)に築かれた全長約84mの前方後円墳。古墳時代中期後半に築造されたもの。円筒埴輪その他副葬品が多数出土している。
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  • 寒風古窯跡群
    寒風古窯跡群は7世紀の飛鳥時代を中心とした約100年間にわたり、須恵器が焼かれていたところです。出土遺物は杯や甕など一般的なものの他に、鴟尾や硯、陶棺があり、焼かれた須恵器が奈良の都からも出土す...
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  • 街角ミュゼ牛窓文化館(旧中国銀行牛窓支店)
    大正4年に牛窓銀行本店として建てられ、後に中國銀行牛窓支店として昭和55年まで使われていました。現在は国の登録文化財に指定され、しおまち唐琴通りを散策する人を癒し、通りの文化を紹介する館となって...
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  • 花光寺山古墳
    全長96mの前方後円墳です。長持形石棺があり、副葬品として漢式鏡、直刀、環頭太刀、銅鏃。鉄鏃など多数が出土しています。
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  • 備前陶器窯跡伊部北大窯跡
    室町時代から江戸時代にかけて、この地の備前焼の同業者が共同で使用した大規模な窯のひとつです。忌部神社の西の山麓に窯跡の位置を記す碑があります。
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  • 備前陶器窯跡伊部南大窯跡
    榧原山麓にある備前焼を焼いた室町時代から江戸時代の共同窯で、3基の窯(東側窯跡、中央窯跡、西側窯跡)と巨大な物原からなっています。東側窯跡は全長53.8m、全幅3~5m、傾斜角度17度の半地下式...
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  • 備前陶器窯跡伊部西大窯跡
    室町時代から江戸時代にかけて備前焼の同業者が共同で使用した大規模な窯の一つです。伊部の西方、蕃山の山麓に位置し、窯跡を伝える記念碑があります。
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  • 天保窯
    江戸後期まで南.北.西.の三大窯で多量生産していた備前焼も、藩の保護の減少や燃料の関係で大窯の融通窯として規模を縮小した三基の小窯が造られ古備前の壷、茶器、花器、角徳利など小形の品が生産された。...
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  • 大多府漁港元禄防波堤
    瀬戸内海の 大多府島 に、池田藩によって元禄11年に築港された大多府港にある港湾施設です。2段に石を積んだ構造で、曲面形状になる堤の築造技術には見るべきものがあります。随所に後世の補修が見られま...
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  • 四列穴門
    明治24年、山陽本線開通に伴ってできたもので、土木学会推奨の土木遺産に認定されています。場所は、市立三石保育園東側にあります。
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  • 三石城跡
    中世の山城跡で、南朝方の挙兵に呼応した地頭伊東大和二郎宣祐が山陽道をふさぐ目的で1333年(元弘3年)に築いたとされ、室町時代には備前守護代の浦上氏が居城していましたが、戦国時代末期に廃城となり...
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