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観光スポット検索結果 188件

  • ジャンル:「文化財・史跡」
  • 地域:「全エリア」
  • 猿掛城跡
    築城年代は定かではありませんが、源平合戦で功のあった庄家長がこの地に築城したのではないかといわれています。
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  • 天神山城跡
    城跡は三段と馬場からなっていて、山頂には本丸の礎石が現存しています。
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  • 旧大國家住宅
    江戸時代、酒造業で成功した大地主の生活を伝える大型民家で、主屋は宝暦10年(1760)、蔵座敷は享和元年(1801)に建築されました。主屋は二階建で、屋根は東西棟の茅葺き入母屋屋根2棟を平行に配...
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  • 旧高戸家住宅
    鴨方藩の庄屋を世襲し油商等を営んだ家で、藩主の宿泊所や文化人の交流の場として使われた由緒ある町家です。建築年代は1687年に修理をしたという棟札から300年以上を経ており、県内に残る江戸前期の最...
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  • 鴨山城跡
    室町時代備中分郡守護細川通薫の居城。
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  • かもがた町家公園
    江戸時代の岡山藩と鴨方支藩を結ぶ街道「旧鴨方往来」沿いに、 町家2棟、倉3棟を忠実に修復した江戸時代の歴史的建築物と伝統植物園を合わせもつ公園で、岡山県内で最も古い築後300年以上の町家(県重要...
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  • 林家住宅
    この住宅は,板絵図が残っていて、江戸時代中期の天明6年(1786)に建築されたことが知られています。長屋門、蔵2棟が付属し、この地域の上層農家の構えをよく伝えています。
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  • 土居一里塚
    出雲往来の一里塚として津山藩初代藩主の森忠政によって築造されたもので、県下に現存する数少ない一里塚として貴重なものです。
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  • 竹山城跡
    竹山城は「太平記」にも登場する中世後期の山城です。宮本武蔵の祖父と父はこの城の家老であり、剣道師範役として仕えました。城跡は展望台となっており、武蔵の里を一望できます。
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  • 三星城跡
    城の北部分にある登り土塁などは戦国時代末期に見られる技法の一つです。16世紀末まで存在しました。三星城跡のある「三星山」には、毎年8月と12月中旬~1月中旬まで「天」という文字を点灯しています。
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  • 宮本武蔵生誕地碑
    宮本武蔵生誕地
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  • 箸立天神伊吹ひば
    箸立天満宮境内にある御神木「伊吹ヒバ」は、推定樹齢800年から1,000年といわれ、858年(天安2年)に菅原道真が、長岡庄を経て高田庄へ旅する途中立ち寄った際に、昼食に使った箸を立てたものが育...
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  • 大谷1号墳
    大谷1号墳は大谷・定古墳群のなかでも早くから注目され、調査研究が行われた古墳です。3段の墳丘と前面に2段の基壇をもつ、5段築成の方墳という全国的にもあまり例のないもので、規模は東西で22.7m、...
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  • 川東車塚古墳
    4世紀後半ごろの築造。標高180mの丘陵部先端に位置する全長59.1m前方後円墳です。古墳時代の美作西部地域における重要な古墳です。
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  • 勝山城跡(高田城跡)
    もとは高田城。今は調練場の石積みと頂上の平坦地を残すのみです。鎌倉時代末期からの激しい攻防を今に伝える貴重な城址です。
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  • 四ツ塚古墳群
    蒜山高原の中央部に16基の円墳があり、代表的な4基を「四ツ塚」と呼びます。その1号墳の石室は片袖式で、天井と壁面に朱を塗り、底部には石と木炭を敷いて水抜きの装置が設けられていました。 [補足]内...
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  • 三浦邸
    旧三浦家別邸。明和元年(1764)、三河国西尾より移封になり勝山領主となった三浦氏は、明治2年、大政奉還により10代、107年間の歴史に幕を下ろしました。歴代当主は城山の麓(現在の市役所あたり)...
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  • 佐井田城跡
    別名:斉田城、才田城(市指定史跡) 佐井田城の築城年代は定かではありませんが、永正14年頃までに植木秀長によって築かれたとされています。永禄11年、岡山城主宇喜多直家が佐井田城を攻撃し、植木氏は...
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  • 黄金杉
    直径約2.5m、高さが18mあり、葉が一年中黄金色をしている珍しい杉です。推定樹齢は180年ですが、突然変異で葉緑素を失って葉黄素のみとなってしまい、葉が黄金色となりました。岡山県の天然記念物に...
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  • 両宮山古墳
    岡山県第三位の大きさの、5世紀後半の前方後円墳です。長さ206mの墳丘を囲う周濠には現在も水が湛えられています。本来は二重の周濠があったことがわかっており、濠を含めた全長は349m。吉備の有力豪...
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