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観光スポット検索結果 188件

  • ジャンル:「文化財・史跡」
  • 地域:「全エリア」
  • 木下利玄生家
    明治19年(1886)に生まれた利玄は足守藩時代最後の藩主を父にもつ歌人です。青年期から短歌革新運動に力を注ぎ白樺派の中心作家として活躍し、口語、俗語なども大胆に取り入れた写実的で平易な「利玄調...
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  • 牟佐大塚古墳
    備中の こうもり塚古墳 (総社市)・ 箭田大塚古墳 (倉敷市)と並ぶ、岡山県における三大巨石墳のひとつです。石室の奥壁の幅は2.7m、玄室の長さ5.8m、高さは2.6m。内部には貝殻凝灰岩製の家...
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  • 撫川城跡(芝場城跡)
    岡山市撫川にある、県指定史跡。約30アールの城跡の北側と西側には完全な石垣が残り、水をたたえた濠が周囲を取り巻いていて、戦国時代末期の沼城の跡を留めています。
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  • 鼻ぐり塚
    吉備津神社 の北200mの「福田海」という寺院の奥にあります。食肉となった牛の鼻ぐりを集めて供養しています。
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  • 尾上車山古墳
    5世紀ごろ築造の全長140mの大型前方後円墳。 浦間茶臼山古墳 と並ぶ初期の大型古墳の代表的なものです。
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  • 徳倉城跡(土倉城)
    遠藤山の頂上にある山城で、本丸の石垣がよく保存されている。幾度か城主がかわって、最後は宇喜多氏の家臣である遠藤河内が城主を務めたが、関ヶ原の役後に廃城となった。
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  • 藤原成親遺跡(高麗寺山門跡と藤原成親墓地)
    平氏打倒を謀った「鹿ヶ谷」の密議が露見し、平清盛によって備前・備中境の有木の別所に流された大納言の藤原成親の配所跡と伝えられ、高麗寺の山門跡の礎石や成親の墓などが残っています。
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  • 庭瀬城址
    約2,000年前の古代ハス「大賀ハス」を咲かせた大賀一郎先生の出身地。庭瀬城址内濠の7つの升に植えられています。
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  • 津島遺跡
    現在の 岡山県総合グラウンド 一帯に広がる縄文時代晩期から弥生・古墳時代にかけての大規模な遺跡。昭和43年の発掘調査で、全国ではじめて弥生時代前期の集落と水田が一緒に確認されたことで大きな注目を...
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  • 中山茶臼山古墳
    吉備中山の山頂付近にある約120mの前方後円墳です。都月型円筒埴輪が 吉備津神社 に伝わるものの、残念ながら宮内庁の管理下にあり、詳しく観察することができません。大吉備津彦命墓(おおきびつひこの...
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  • 造山古墳
    全国第4位の規模をも持つ、5世紀前半の前方後円墳です。全長約350m、後円部径約224m、高さ約27~32.5mで三段築成。後円部墳頂には形象埴輪、墳丘斜面の各段には大量の葺石と円筒埴輪列が認め...
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  • 惣爪塔跡
    長径2m、短径1.5mの花崗岩自然石の上面に直径70cm、深さ17cmの円柱穴を掘り、さらにその中底に径16cmの小穴を備えた、奈良時代の層塔の心礎を残しています。
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  • 倉安川吉井水門
    倉安川吉井水門は、岡山藩主・池田光政が津田永忠に命じて、1679年から約1年をかけて完成させた倉安川を利用し、当時、岡山藩が干拓した新田へかんがい用水を供給するために造られました。また、吉井川を...
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  • 神宮寺山古墳
    市街地の中にある全長150mの前方後円墳で、後円部頂上の天計(あまはかり)神社社殿の床下には竪穴式石室の天井石が露出しています。
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  • 真金一里塚
    備前・備中の国境に近い旧山陽道にり、一里塚の様子をよく示しています。道路を挟んで両側に塚があり、北塚に黒松、南塚に榎の巨木がありましたが、枯れたため今は若木が植えられています。
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  • 緒方洪庵誕生地
    江戸時代末期に蘭学医として天下に名をはせた洪庵の誕生地です。現在は宅地と古井戸が残っています。洪庵は、足守藩医の緒方惟因の末子であり、大坂に適塾を開き、福沢諭吉など多くの弟子を育てました。
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  • 坂古田古墳
    県下有数の大型前方後円墳。全長150m,後円部の高さは23.4mある。
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  • 虎倉城跡(虎倉城)
    戦国時代にはこの城を中心に、松田氏・宇喜多氏・毛利氏などによって激烈な争奪戦が繰り広げられた。遺構は、山頂の本丸、二の丸、三の丸の主要な郭をはじめ、石垣、堀切等が確認されている。
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  • 金川城跡(玉松城)
    この城の縄張りは、県下の山城のなかでも1~2に挙げられる大規模なものです。江戸時代初期の元和元年(1615)に幕府の命令で壊されました。
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  • 旧足守藩侍屋敷遺構
    もと足守藩家老の杉原氏の住居。江戸時代中期の武士の書院造り住宅遺構として貴重なものです。
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