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“やくも”を思って半世紀【最終回】

 特急“やくも”は、筆者の心の中の英雄である。昭和47(1972)年、小学校へ上がる直前に新幹線が岡山開業し、小学3年で博多まで延びてから、岡山駅に発着する在来線の昼行特急は、当時ディーゼルのやくもだけになった。赤とクリーム色に塗られたそのリミテッドな姿を見に、よく岡山駅まで自転車を走らせたものである。あこがれのやくもに初めて乗ったのは、たしか家族で広島県北の帝釈峡まで紅葉を見に行った小学4年の秋だった。帰る段になり、芸備線の東城駅で時刻表を見た父が「新見からは特急しかないな」と残念そうに(往路は料金節約のため普通列車)つぶやいたのを見て、「やくもに乗れる!」と小躍りしたことを覚えている。日が暮れて寒さがしのびよる新見駅のホームに滑り込んできた上品な色合いの車体、エンジンの香りに期待が高まり、見慣れないが特別感がある折り戸を通って入った車内では暖かな薄緑色のデッキが迎え入れてくれた。短い乗車時間は、食堂車でカレーを食べて(これがまた美味であった。わが家にしては大ぜいたく)過ごし、下車後は父にせがんで写真を撮ってもらった。今も残る特急の記憶の原型である。

 月日は流れ高校2年になった昭和57年。伯備線電化が7月に迫り、やくもに導入されるのが“在来線高速化の立役者”振り子式の381系と聞いた時、筆者の胸は高鳴った。既に中央西線や紀勢線で活躍していた卵形の顔は、直流特急電車の中で最も好みに合っていた。電化によるダイヤ改正を数日後に控えたある日、引退間近の“ディーゼルやくも”を記録に残そうと、写真部にいた同級生と岡山駅に行った。ところがホームで待ち構えるわれわれに接近してきたのは前倒しで運用に入っていた381系だった。それでもとカメラを向ける筆者に「この先いくらでも見られる車両だから撮ることはない」と、友はたしなめた。まさかその先40年も現役を続けるとは彼も想像しなかったであろう。当時の高校生が大学を経て就職し、その仕事を定年してもまだ走っている。乗用車では考えられない長寿である。

 これまでに幾度か乗った。デビュー当初は振り子式特有の「車酔い」が問題になり、先行路線での“実績”を知っていた筆者も初乗車時には身構えたが、生来の鈍感が功を奏してか一度も気分が悪くなったことはない。20年ほど前にはNHKの松江局は朝のローカルニュースで「やくもの空席情報」を放送していた。同時期、筆者が山口局で伝えていたのは「宇部空港からの飛行機の空席情報」だった。厳しい山岳路線を走りながら、高い速達性と安定した走りで、島根県民にとってやくもは飛行機以上に東京・大阪とつながる重要な足であり続けたのだろう。

 そんなやくもから381系電車がついに引退することとなった。4月6日から順次新型車両に交換されていくという。中古の使い回しではなく専用の新車。そして振り子装置も最新鋭が搭載されると聞いて、期待している。一方で沿線はいま、別れを惜しむファンで空前のにぎわいを見せている。...
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(2024年03月22日 11時30分 更新)

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