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山羽虎夫の顕彰進む

 時計の針をおよそ120年前に戻す。1904年5月7日、初の国産自動車が岡山市の表町を出発した。京橋を渡って旭川の土手を南下。新岡山港近くまで約10キロの試運転だった▼造ったのが、岡山市生まれの山羽虎夫(1874~1957年)である。表町で電機工場を営んでいた時、乗合自動車事業に意欲的な資産家の依頼を受けて完成させた▼木製車体に蒸気エンジンを積んだ。2気筒25馬力で10人乗り。ただ実用に耐えられなかった。試運転では十分な蒸気を連続して発生させられず、車輪に不具合が生じたと伝わる▼自動車大国日本の端緒を開いたと近年、山羽の顕彰が進む。2022年にはNPO法人・日本自動車殿堂が選ぶ殿堂者に入った。岡山城近くの胸像は昨年、目立つようにと地元有志がゆかりの京橋近くに移転。先日は、自動車愛好家が試運転のルートをたどる5年に1度の「パイオニアラン」が開かれた▼22年殿堂者には、世界一過酷とされるダカール・ラリーで日本人初の総合優勝を果たし、3月に死去した篠塚建次郎氏、純国産技術を用いた初の量産乗用車であるクラウンの開発を指揮したトヨタ自動車の故中村健也氏らも名を連ねた▼共通するのは未知なる世界への好奇心、信念の強さか。自動車史に名を残す功績は、業界がどれだけ変わろうと輝きを放ち続けよう。

(2024年05月02日 08時00分 更新)

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