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限界集落の記録

 私の故郷と重なった―など、本紙「ちまた」面でも共感を呼んでいた。鹿児島大名誉教授の小谷裕幸さんの近著「ある限界集落の記録」である▼1940年、新見市の指野(さすの)という山村に生まれた著者が、子どものころの集落や行事などの記憶をつづっている。初めて電灯がともったのは47年、道路が通じたのは、さらに10年余り後。それまでは自らの足が唯一の移動手段だったので、体力がついたと記す。いわば「不便益」があった、と▼人口は12軒で100人を超えたことがあったものの、最近は3軒で10人足らずになった。書名となった限界集落は、住民の半分以上が高齢者で共同生活の維持が難しくなっている集落を指す▼こちらは「消滅の可能性がある」という。岡山県内の10市町を含めて全市区町村の40%超が当たるとの報告書を、民間の「人口戦略会議」が先にまとめた。2050年までに20~30代女性が半数以下になる推計が根拠だ▼一面的な指標で線引きしたという批判もある。とはいえ、少子化対策とともに、人口が減っても住み続けられる道を探らねば▼ドイツ文学者の小谷さんが専門外の冒頭の著書を出したのは、故郷に鎮魂の意を表したかったからだそうだ。その思いに賛同する人はちまた面のように多かろうが、消滅はさせられない。不便益もアピールし人を呼べないか。

(2024年05月06日 08時00分 更新)

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