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「失語症の父と雑談楽しみたい」 女子高生が研究続けるツールとは

自作の手の模型で「雑談創造機器チット」の説明をする咲歩さん(写真は全て中西弘之撮影)
自作の手の模型で「雑談創造機器チット」の説明をする咲歩さん(写真は全て中西弘之撮影)

 言語障害の一つで、言葉が思うように出てこない「失語症」。そんな失語症の父親と雑談を楽しみたいとの思いから、コミュニケーションツールの開発を続ける女子高生がいる。操山高校(岡山市)2年藤原咲歩さん(16)だ。咲歩さんは「父親をはじめ、同じような障害のある人たちの雑談のきっかけをつくり、笑顔にしたい」と研究に没頭している。4月25日は「失語症の日」―。

 クマのぬいぐるみやバランスボールが置かれた女子高生らしい部屋の中で、3Dプリンターがひときわ存在感を放つ。本棚には失語症や脳の仕組みに関連する本が並ぶ。咲歩さんはまるで研究室のような自室で長い時は5、6時間、机に向かっている。

部屋の中で3Dプリンター(手前)が存在感を放つ
部屋の中で3Dプリンター(手前)が存在感を放つ

 開発するのは「雑談創造機器チット」。3Dプリンターで作った手になじむマウス型で、指先には四つのスイッチが付いている。押すと「どうだった」「いつ」「なんで」「どこで」といった音声が内蔵のスピーカーから流れ、会話をサポートしてくれる。英語で雑談を意味する「チットチャット」から「チット」と名付けた。

 「『ありがとう』『おはよう』でも試してみたけど、これでは父親と家族の間で新たな会話は生まれない。家族の雑談を分析して、5W1Hが日常の共有につながっていると分かった」と咲歩さん。父親の存在を原動力に、探求を続ける日々だが、最初から全ての「現実」を受け入れられたわけではなかった。

開発を続ける「雑談創造機器チット」
開発を続ける「雑談創造機器チット」

出張先で倒れた父


 父親が脳梗塞で倒れたのは咲歩さんが小学6年生の時だった。県外の出張先で発症。まだ30代だった。病院から連絡を受け、夜中に家族とともに駆け付けると、集中治療室で眠る父親がいた。「頭を手術するために髪の毛がなくて、体も動いてなくて、入院着を着ていて。いつものキラキラでかっこいい父親とは違う姿にショックを受けました」と振り返る。

 自他ともに認める「パパっ子」だった。営業職で、社交的な父親は誰にでも笑顔を絶やさなかった。県外に出張することが多く、「全国にお父さんの友達がいるんだよ」と教えてくれた。出張先から父親が戻ってくるのが待ち遠しく、帰ってくると真っ先にこれまでにあった出来事を話した。父親はにこにことその話を聞いてくれた。「仕事熱心で、困っている人には必ず手を差し伸べる人。尊敬しています」と語る。

チットの改良に向けて父親とやりとりする咲歩さん
チットの改良に向けて父親とやりとりする咲歩さん

 父親は後遺症として失語症と全身まひが残った。当初は寝たきりで手を握ると握り返すのみだったもののリハビリを経て、車いすで移動できるまでに回復した。ところが、失語症の影響で言葉のキャッチボールができない。そんな父親に咲歩さんのイライラは募った。「当時の私は失語症の知識がなく、『なんで言葉を返してくれないの?』『何を考えているの?』『私と話したくないから?』と腹が立ちました」

 父と話したいのに話せない―。そんな思いから「私なんかいないほうがいいんでしょ!」と言ってしまったことがあった。すると、父親は初めて咲歩さんをたたいた。目には涙があふれていた。母親に話すと「お父さんがそうしたのには理由がある」と言われたが、当時はたたかれたことがショックすぎて何も考えられなかった。

 失語症の症状は人それぞれ。父親の場合、言葉は出づらいものの、短文で答えることができる。ただ、「好きな〇〇は?」のように答えが広範囲な質問には考える時間がかかる。「おかえり」と声をかけると「ただいま」ではなく「おかえり」とおうむ返しになることもあるそうだ。メールは、短文では理解できるが、長文になると頭が混乱するという。

開発のきっかけ


 チットの原型を考えたのは中学2年生の時。総合学習の授業で、社会課題を解決する研究テーマを考えていた。「身近で心から向き合えるテーマを」と思った時、真っ先に浮かんだのは「父と雑談したい」という思いだった。「自分のイライラのもとは父ではなく、父とうまくコミュニケーションがとれないことにあると気づきました」

 右半身に強いまひが残るものの、左手は動かせる父親のために考えたのが「チット」だった。しっかり手にフィットするか、ボタンの押しやすさ、使いやすさなど、全て父親とやりとりしながら開発を進めている。もともとは紙粘土でマウスを作り、モニターに文字を表示させていたが、軽量化や持ち運びのしやすさなどを考え、今の形になった。

 「今は父とうまく会話できないことがあっても、イライラではなく、研究への意欲になっています。二人でプロダクト開発することが楽しくて、父と一緒に同じ障害に悩む人の未来を変えたい」と咲歩さん。父親にも咲歩さんの研究についてたずねてみた。すると「いい子、いい子」と娘の頭をなでるようなしぐさをしながら「えらいね」とほほ笑んだ。

父親と二人三脚で開発している
父親と二人三脚で開発している

 咲歩さんの将来の目標は起業して当事者それぞれに合ったチットを提供することという。<いろいろな場所に花を咲かせて歩いてほしい>との思いを込め、両親が名づけた16歳は、たくさんの人を笑顔にしようと前向きに歩を進めている。

全国に30万~50万人


 NPO法人日本失語症協議会(東京)によると、失語症者は全国で30万~50万人いるとされている。症状は人によって異なるが、頭では分かっているのに言葉が言い表せなかったり、文字の読み書きができなかったりすることがある。復職率はわずか8%という調査結果もあり、社会との接点がなくなったり、家族と思うようにやりとりできない中で、引きこもりになったり、離婚したりする人もいるという。

 咲歩さんは周囲の人に伝えたいことが二つある。一つは「健康診断の結果を疎かにしないでほしい」ということだ。「父は運動もしていたし、病気一つしない人でした。でも頭痛がすると言っていたことがありました。もし体に異常を感じたらすぐに病院に行ってほしいです」

 もう一つは「家族との会話を大切にしてほしい」。「私が研究を続けられているのは、小さい頃の父との楽しい会話がずっと支えになっているからです。家族との日常会話は当たり前のようで、とてもありがたいもの。それを大切に毎日生活してほしいです」と呼びかける。
当事者それぞれに合ったチットを提供することが目標という
当事者それぞれに合ったチットを提供することが目標という

(2024年04月24日 16時30分 更新)

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