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堀潤氏 なぜ岡山にスタジオ開設? 「市民の声」発信できるモデルを

岡山に撮影スタジオを開設した堀さん
岡山に撮影スタジオを開設した堀さん

 ジャーナリストの堀潤さん(46)が岡山市中心部の表町商店街の一角に、撮影スタジオを開設した。自身が立ち上げた市民メディア「8bitNews」の初の地方拠点で、誰もが情報発信することができる。なぜ今、市民メディアが必要で、どうして「岡山」を選んだのか―。本人を直撃してみると、堀さんがジャーナリストとして活動する「原点」は、岡山にあった。

「俺の現場はどこだ!?」


 「街を歩いていると、『おかえり』『なんしょん?』と声をかけてくれる人がいて、またここで交流が生まれることに、わくわくします」。堀さんにとって岡山はNHK時代の初任地。約5年を過ごしたこの土地で、「ジャーナリストとしての今の考えの基本を培った」と振り返る。

 岡山放送局時代、報道志望だったにも関わらず、当初、任されていたのは演芸番組の司会だった。「『堀、チャラチャラしてんなぁ』と思われていたからか、なかなかニュースを任せてもらえず。『俺の現場はどこだ!?』と思っていました」

笠岡市北木島で仕事をする岡山放送局時代の堀さん(右から2人目)=2005年
笠岡市北木島で仕事をする岡山放送局時代の堀さん(右から2人目)=2005年

 転機となったのは、ある日の番組の公開収録。収録までまだ時間があるというのに、待ちわびるたくさんの人が会場前に列を作っていた。そこでお年寄りたちの話を聞いていると「病院の場所が変わって通うのが大変」「後継ぎがいなくて」といった会話が繰り広げられていた。ニュースで伝えられることのない声なき声。「その時、『報道の現場』はここだ。まさにここに伝えるべきニュースがあるのだと確信しました」

 それからは夕方のニュースの情報コーナーでも、時事ネタや課題を織り交ぜた質問をした。例えば、地域の神楽グループが出演した際には「過疎高齢化の中で、どうやって活動を維持していますか」とたずねるなど、「市民の声」を届けることに注力した。

市民が情報発信


 「8bitNews」はNHK在籍中の2012年に立ち上げた。テレビや新聞が価値判断した「選んだ現場」がニュースとして取り上げられる中で、こぼれ落ちている事象もたくさんあると感じていた。

 特にそれを感じるのが災害報道。「同じ災害なのに、どうしてここは取り上げてくれないのか」。自身のSNSにそんなメッセージが送られてくることもあった。そのたびに初任地岡山で、取材を喜んでくれた人たちの顔が浮かんだ。「メディアを信頼してくれているあの人たちを裏切れない」という気持ちが膨らんでいった。

NHK時代の堀さん
NHK時代の堀さん

 「8bitNews」は、スマホが普及し、SNSやYouTubeで誰もが発信できる中、それをサポートするのが役目だ。情報を分かりやすく伝えるための講座を開いたり、市民記者がニュースを投稿できるサイトを作ったりした。

 大きな災害が起こると、自身のLINEのIDを公開し「被災地で発信の支援が必要な人は連絡をください」と呼びかけた。岡山に甚大な被害をもたらした2018年の西日本豪雨では、多数の死者が出た倉敷市真備町地区に報道が集中する中、高梁市の浸水家屋のカビ問題や、豪雨の影響で生活道路が寸断され、孤立状態となった岡山市北区菅野地区のニュースをいち早く届けた。
 
 

地方に「本格的なスタジオ」


 20日に正式オープンする「8bitNews瀬戸内グローバルスタジオ」は、商店街の空き店舗(53平方メートル)を活用。キー局の報道番組に登場しそうなスタジオは、フジテレビのセットを手がける会社が作った。5台のカメラがあるほか、照明、スイッチング、モニターまで用意されている。

カメラや照明などがそろったスタジオ
カメラや照明などがそろったスタジオ

 「本格的なスタジオの中で、特別な体験をしてほしいと考えた」と堀さん。NHK時代にも、地域の子どもたちがスタジオ見学に来て、キャスター体験をするといった場面があり、目を輝かせてくれたことが深く印象に残っているという。「そういう感動によって『あなたの発信は特別なこと』というのを実感してもらいたい」と言う。

 すでに岡山大学のイギリス人留学生が商店街の店舗を取材したり、地域で活躍する起業家にスポットを当てたりした番組の配信が予定されている。番組は「8bitNews」のサイトやYouTubeで見られるほか、堀さんが担当するテレビやラジオ番組での紹介も考えている。「発信によって世界とつながったり、世の中が少し変わったりするような体験をすることで、多くの人が『沈黙』から『発信』に向いていってほしい」

「『沈黙』から『発信』に向いていってほしい」と語る
「『沈黙』から『発信』に向いていってほしい」と語る

 約20年ぶりに戻った岡山。「当時、先行きが不透明といわれていた地域で、新しいパワーが次々と生まれている。デジタル先進地域や環境対応などの『創造の場』になっていることに、力強さと日本再生のヒントを見ました」と話す。「そんな自分を育ててくれた岡山に恩返しをしたいですし、『岡山モデル』を作って、ほかの地方でも、人が集い、交流し、発信できるスタジオを増やしていきたいです」と意気込む。
岡山のスタジオには専任スタッフもいる
岡山のスタジオには専任スタッフもいる

(2024年03月19日 15時42分 更新)

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