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終戦80年を前に

 2部屋だけの平屋で始まった小さな美術館は2階などの増築を重ねて「つぎはぎの美術館」と称するようになった。埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」である▼東京・池袋から鉄道とバスを乗り継ぎ、さらに歩いて計1時間半ほど。出張の際に足を延ばしたのは昨年末、埼玉新聞のネット記事を読んだから。来年秋ごろから1年半、休館して改修するという▼画家の故丸木位里(いり)・俊(とし)夫妻が被爆の悲惨さを描いた連作絵画を展示するため、自然豊かな自宅そばに設けた。開館から半世紀以上たって老朽化が目立ち、新しい改修プランをまとめた。戦後80年を前に継承のあり方を模索する関連施設は少なくないだろう▼広島出身の位里は原爆投下の数日後、埼玉から帰郷した。後を追って俊も駆けつけ、焼け野原で全身にやけどを負い苦しみ死んでいく人々を目の当たりにする。惨状を描いた「原爆の図」を美術館で見て、あまりの迫力に圧倒された▼一連の作品の中には、建物疎開に動員されて被爆した少年少女が描かれたものもある。傷ついて倒れ、折り重なった目がこちらを悲しそうに見つめる。広島市の原爆ドーム近くにある動員学徒慰霊碑に、岡山県内の生徒の名が多く刻まれていたのを思い出した▼不安定な今の世界。戦闘員ではなくても甚大な犠牲を強いられるのは昔の話ではない。

(2024年02月10日 08時00分 更新)

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