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姫新線美作千代駅 設計標準化に向けた試行錯誤の跡

 1906(明治39)年3月31日、明治政府は産業の発達、財政基盤の強化、軍事上の必要性から「鉄道国有法(明治39年法律第17号)」を公布して主要17私鉄を買収した。それにより官設鉄道の営業距離は2410.6キロから7153.2キロになり、官設鉄道に占める編入私設鉄道車両の割合は、機関車94.5%、客車88.1%、貨車95.5%になった(❊1)。1906年は、ポーツマス条約でロシアから引き継いだ東清鉄道の一部を南満州鉄道とした年でもある。

 第1次世界大戦の戦争景気もあり、1914(大正3)年度の鉄道輸送人員1億6600万人は1919(大正8)年度3億5800万人に、貨物輸送量は3600万トンから6100万トンに増加した(❊2)。政府は1920(大正9)年5月15日、拡大する鉄道行政に対応するため、内閣の外局だった鉄道院を鉄道省に昇格させた。

 日本の鉄道が開業50年を迎えた1921(大正10)年、国有鉄道の営業距離は1万621.7キロ、私鉄と南満州鉄道など外地鉄道を合わせると1万9312.1キロに達していた(❊3)。さらに1922(大正11)年4月11日、「鉄道敷設法(大正11年法律第37号)」を公布して149の予定線を発表した。新線の建設にあわせ、線路の改良と保守の見直し、停車場を含む施設の改良と設計標準化を本格化させた。8月1日付小欄で紹介した扇形機関車庫設計標準図はその一つだ。...
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(2023年11月15日 11時00分 更新)

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