先月亡くなったシンガー・ソングライターの谷村新司さんを「命の恩人」と語る男性がいる。ものまね芸人のダンシング☆谷村さん(61)=本名高橋弘、広島県福山市出身=だ。芸人の道をあきらめかけた時に、一筋の光となったのが谷村さんのものまねだった。生前一度だけ対面した時のエピソードや、ものまねに込める思いなどを聞いた。
34歳から谷村さんのものまねを始め、これまでに全国各地で2千ステージ以上をこなしてきた。谷村さんが絶対にしない激しい動きと、本物そっくりの美声で「チャンピオン」「昴(すばる)」を熱唱。軽妙なトークでも聴衆を引き込む。
子どもの頃は人見知りだった。福山工業高校時代に補欠ながらも打ち込んでいた野球。補欠もみんな代打で出場した3年生最後の試合で、声がかからず、不思議に思っていた。試合終了後、監督が「高橋、忘れていた」とぽろり。「人と話すのが苦手で、とにかく存在感がありませんでした」と振り返る。
専門学校卒業後は、工場の水質などを調べる測定士になる予定だった。だが、「この仕事に就くと人と話すことはもうないだろう。こんな性格を変えたい」と一念発起。自分探しのため、広告代理店の営業マンなど30以上の仕事に挑戦してみた。ジャズハウスのウエイターをしていた時に、ひょんなことからステージで司会を務めたところ、たどたどしさが大ウケ。人を笑わすことに魅力を感じて、お笑いの世界に飛び込んだ。
ところが鳴かず飛ばずのまま8年が経過。「もう故郷に帰ろう」。そう思いながら、東京・ 三軒茶屋のショーパブでバイトをしていた際に、たまたま披露したのが好きだった谷村さんのものまねだった。「高校時代からずっとアリスのファンで、曲を聴いていたので、ものまねしやすかった。東急ハンズでかつらやテープを買って、試した時に『いける』と思った」。ショーパブで爆笑をとったことで、評判はテレビ業界にも伝わり、一躍ものまね番組の引っ張りだこになった。
2000年、都内のホテルで企業営業ステージに出演した後、偶然谷村さんに会う機会が訪れた。「ダンシング☆谷村です」とあいさつすると、「存じ上げております」「頑張ってください」と優しく声をかけられた。あいさつできただけでなく、「お墨付き」までもらい、興奮気味のまま、そそくさと去ろうとした直後、背後から「君、無茶しないでね」と一言。振り返ると、いたずらっぽい笑みを浮かべていた。
谷村さんに会ったのはその一度きり。「きっと嫌われていると思っていたので、あの時のニヤっとした笑顔は一生忘れられません。過激な動きをしているので、怖くて親交を深めることができませんでしたが、今思えば、もっと話しかけていればよかったですね」と語る。
谷村さんの死後、ものまねを披露すると聴衆からの応援がより多くなったと感じている。「谷村さんは私の芸人人生をつなぎ止めてくれた『命の恩人』。動きは違いますが、歌はしっかり歌っています。こんなキャラですが、名曲をしっかり歌い継いでいきたいです」と話した。