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「元気に戻ってきて」 雨に壊され、灯が消えた町 再興に心を砕く人たち

 日が落ちてもその界隈(かいわい)に街灯がともることはない。

 倉敷市真備町の「宮田団地」。小田川の堤防沿いにあり、昨年7月の西日本豪雨で水没した。

 真備町には昭和の高度成長期以降、倉敷市沿岸部の水島コンビナートの発展に伴い、戸建ての住宅団地が多く整備された。昭和40年代に造成された宮田団地もその一つ。被災前には34戸あったが現在、家屋の建て替え・修繕を終え、戻っているのは7戸ほどだ。

自治会が機能停止状態となり日が暮れても街灯が点灯しない宮田団地
自治会が機能停止状態となり日が暮れても街灯が点灯しない宮田団地


■自治会が機能停止■



 「自治会は解散状態。家もコミュニティーも水にのみ込まれてしまった」。大重正三さん(71)、久誉さん(69)夫妻が団地の現状を語る。

 積み立てていた自治会費は被災後、各戸に返金された。電気代が払えなくなり、団地内9基の街灯はストップした。夜は家の明かりもまばらで、被災住宅からスコップなどが盗まれる被害が起きた。

 約20キロ離れた倉敷市玉島地区に家を借りた大重さん夫妻は、毎日のように団地に通い、6月には自宅の再建が完了。少しでも明かりを増やそうと庭や駐車場には1ダース分の庭園灯を並べた。

 仮住まいから自宅の様子を見に来た住民の姿を目にすると、駆け寄って声を掛ける。折りに触れ、離れて暮らす人たちに団地の写真を添えた便りも出している。

 「忘れていないよ。みんなに会いたい。元気に戻ってきて」ー。そんな思いを込めて。

コミュニティーの再建を願う宮田団地の大重さん夫妻
コミュニティーの再建を願う宮田団地の大重さん夫妻


■仮設に2600世帯■



 死者79人(災害関連死含む、7月5日現在)、行方不明3人、住宅被害9300棟以上―。岡山県内に甚大な被害をもたらした西日本豪雨。被災前、約9千世帯・2万3千人が暮らしていた真備町は町域の3割に及ぶ1200ヘクタールが浸水し、災害関連死を含めて61人が犠牲になった。住宅被害は5700棟以上に上り、今も約2600世帯・6800人が仮設住宅で暮らしている。

 あれから1年。豪雨に壊された町でコミュニティーの再興に心を砕く人たちがいる。

倉敷市真備町の被害状況
倉敷市真備町の被害状況


■なんでこんな我慢を■



 大工の林芳夫さん(69)は連日、被災住宅の建て替え工事に当たっている。場所は自身が住んでいる「角第一団地」だ。

 ここも10戸すべてが被災し、避難を余儀なくされた。林さんは豪雨から約1カ月後に戻り、妻と自宅2階で生活しながら自力でリフォームした。しばらくの間、ほかには誰もいない状態が続き、先日、ようやく1戸が戻ってきただけ。林さんは被災後、自治会長を引き受けたものの、街灯を維持する予算を除き会費は精算。団地内の溝そうじもままならず、「さみしいですよ。なんとか自治会が機能するまでに回復してほしい」と思いを打ち明ける。

 林さんが真備町内の被災住宅の建て替え・修繕を請け負ったのは今回で6件目。自身も同じ経験をしただけに、住まいを失った人の心中は痛いほどに分かる。

 「住み慣れた土地、大勢の知り合いがいる町に戻りたいと思っても現実は厳しい。お金の問題もあるし、水害への恐怖もあるだろう。なんでこんな我慢をしないといけんのか」

 今は1人で仕事をこなしている。手伝いの職人を雇えば、予算がかさむ。被災者の負担をできるだけ抑えたい。もうけは考えていない。「快適に、安心して住める家を」と黙々と作業を続けている。

被災住宅の建て替え作業に当たっている大工の林さん
被災住宅の建て替え作業に当たっている大工の林さん


■集まれる場所を■



 「周りを見たらさら地ばかりでね。帰ってきてほしい、とにかく早く集まれる場所をつくりたい。その一心で…」

 「原田団地自治会」の会長を務める東末明さん(66)は目頭を押さえた。団地の集会所「原田公会堂」の修復工事が完了し5月のこの日、住民の「再会の集い」が開かれた。

 原田団地も昭和40年代に造成された。被災前は19戸。半世紀にわたって築いてきた「結束力」が自慢だ。木造平屋の公会堂は住民が資金を出し合って35年ほど前に建てた。自治会の会合、忘年会、溝そうじの後の食事会…。カラオケ大会もここで開いた。昔は町内で葬儀や祝い事があれば、女性陣が集まり、炊き出しをした。

 新しく入ってきた若い家族にも先輩住民が親身に接する。ここには、昔ながらの近所付き合いがあった。その仲間たちが「あの日」を境に離れ離れになった。

原田団地への思いを語る東さん
原田団地への思いを語る東さん


 被災後、みなし仮設住宅に入った東さんは、団地の先行きを思案し続けた。離散した住民を訪ねて回り、自治会の今後についてアンケートを取った。ほとんどが自治会の存続と公会堂の再建を望んでいた。

 東さんは1人で公会堂の片付けも始めた。泥をかき、天井、壁、床板をはがし、高圧洗浄機で汚れを落とし、リフォームの準備を整えた。費用は自治会の積立金だけでなく、市の補助金も活用することを考え、交渉や手続きのため、何度も市役所に足を運んだ。

被災直後の原田団地周辺。住宅の2階まで水に浸かった=2018年7月7日午前9時26分
被災直後の原田団地周辺。住宅の2階まで水に浸かった=2018年7月7日午前9時26分


 「必死でしたよ。つながりを失いたくなくて」と東さんは振り返る。4月、公会堂の改修工事は完了し、「再会の集い」には15世帯22人が元気な姿を見せた。被災後、団地にこれだけの住民が集まるのは初めてだった。

 まっさらのフローリングに座布団を敷き、弁当を食べながら、会話が弾む。東さんは生き生きと場を仕切り、盛り上げる。再会のひとときを過ごし、先に席を立つ住民に、あちこちから「帰っておいで」「待ってるよ」と声が掛かった。

 今のところ、団地に戻ってきたのは東さん方を含む7戸。年内に2戸が加わる見込みだが、その先はまだ分からない。

 自宅再建のめどが立たない人もいる。戻るかどうか決めかねている人もいる。幼い子どもが2人いる若い家族は、住宅購入時の借り入れと修繕費の「二重ローン」には耐えきれないと、悩み抜いた末、愛着ある団地を離れる決断をした。

 「いつでもいい。ここが恋しくなったら連絡して。公会堂を開けて、みんなを集めるから」。それぞれに事情を抱える仲間たちに東さんは呼び掛ける。

再建された原田公会堂で開かれた「再会の集い」
再建された原田公会堂で開かれた「再会の集い」


■つながり広げて■



 6月の日曜日。片岡直子さん(60)の家はにぎわいに包まれていた。

 南米楽器ケーナとキーボードの情緒的な調べが流れる。地域住民が集まり、真備特産タケノコ入りのたこ焼きやホットサンド、コーヒー、抹茶を楽しみながら語り合う。子どもたちはかき氷や絵本の読み聞かせに夢中だ。

 片岡さんが、改修中の自宅1階を開放して企画した「ののくさギャラリー&ライブ」。催しや料理は、友人らがそれぞれの“得意”を持ち寄ってくれた。

 イベントは5月に続き2回目。片岡さんは「昔の井戸端、肩肘張らない寄り合い所みたいなもの。顔を合わせ、おしゃべりすれば元気が出てくるでしょ」と言う。

 イベントのタイトルには「豪雨」「被災」「復興」といった言葉は入れなかった。真備町の中でも、家屋などの直接的な被害を免れた住民はいる。そうした人たちが「被災地支援の催しや復興イベントに参加してはいけないのではないか、と引け目を感じている」との声を聞くからだ。

 「それは違う。町全体が苦しい思いをした。水に漬かったとか、漬からなかったとかは関係ない」と片岡さんは訴える。だからこそ、誰でも気軽に立ち寄れる場を用意した。

「ののくさギャラリー&ライブ」で触れ合う住民たち
「ののくさギャラリー&ライブ」で触れ合う住民たち


 倉敷市は本年度、「真備地区復興計画」をスタートさせた。決壊した堤防のかさ上げなど治水対策を進め、被災者が住まいを確保できるよう支援。地域コミュニティーの拠点である集会所の早期復旧も後押しする。ハード・ソフト両面から真備の再生を目指す5カ年計画は「みんなで住み続けられるまちづくり」を基本方針の一つに掲げた。

 片岡さんは思う。

 豪雨の後、みんなが一緒になって復旧・復興に力を注いできた。地域の絆は強まり、新たなつながりができた。その輪が鎖のようにつながっていくことで、真備はもっと住みよい町になりますよ―

自宅を開放したイベント会場で「つながりの輪を広げたい」と話す片岡さん
自宅を開放したイベント会場で「つながりの輪を広げたい」と話す片岡さん

(2019年07月08日 10時00分 更新)

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