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ビキニ水爆70年、地域社会壊す 帰島進まず、住民ら追悼式

 核実験犠牲者の追悼式典の会場に向け行進する下本節子さん=1日、マーシャル諸島の首都マジュロ(共同)
 核実験犠牲者の追悼式典の会場に向け行進する下本節子さん=1日、マーシャル諸島の首都マジュロ(共同)
 1日、マーシャル諸島の首都マジュロで開かれた、水爆実験70年の追悼式会場まで行進した住民ら(共同)
 1日、マーシャル諸島の首都マジュロで開かれた、水爆実験70年の追悼式会場まで行進した住民ら(共同)
 【マジュロ共同】太平洋の島国マーシャル諸島のビキニ環礁で米軍が行った水爆実験から70年を迎えた1日、首都マジュロで追悼式が開かれ、住民や被ばくした日本人漁船員の遺族ら約500人が出席した。1946~58年に67回の核実験が実施された結果、深刻な汚染が残った実態が近年明らかに。ビキニに加え「死の灰」が降ったロンゲラップ環礁でも島民帰還が実現せず、移住を容認する米国へ人口が流出、地域社会が壊れつつある。

 式典ではハイネ大統領が演説し、核実験が行われた米ネバダ州からも汚染土が大量に持ち込まれ投棄されたと米国を批判、対応を要求した。

 54年の水爆実験では周辺住民のほか、静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の23人を含む日本の漁業者らも被ばくした。追悼式には、漁船員だった父をがんで亡くした高知市の下本節子さん(73)が被ばく者遺族として参列した。

 実験当時の被ばく者は大半が世を去り、式に出席できた人はわずか。子孫らは健康面の不安を抱えている。

(2024年03月01日 10時48分 更新)

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