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子ども・夫の世話、母の介護に追われ…65歳からダイエットを決意し”27kgの減量”「自分の人生の主人公になりたい」

27kgのダイエットに成功、丸山久容さん
27kgのダイエットに成功、丸山久容さん
 83kgから56kgへ、27kgのダイエットに成功し、まるで別人のような変貌を遂げた女性がTikTokで話題を集めています。投稿者の丸山久容さんがダイエットを始めたのは、驚くことになんと65歳から。自分のことは後回しにして、子どものこと、夫のこと、親の介護のことなどを優先する考えが染み付いていたという丸山さん。懸命に日々を過ごす中で、「自分は何のために生きているのか?」と自問自答することもあったと言います。そんな思いを抱えながらもダイエットを決断した背景には何があったのか、丸山さんに話を聞きました。

【画像】顔&二の腕がゲッソリ、衝撃の変貌…65歳で27キロ痩せた丸山久容さんのビフォーアフター

■太りすぎて脊椎管狭窄症に… この体で生きていくのかと感じてダイエットを決意

――ダイエットでまるで別人のように大変貌をされていますが、ご家族の反応はいかがでしたか?

【丸山】夫はあまり気づいていませんでしたが、さすがに半年くらい経ってからは「体調が良くなってきて良かったね」と言ってくれました。脊椎管狭窄症で歩行困難になり、姿勢も午前中は腰が曲がったままなので、そちらの方が大変でしたから。夫は「僕は太った女性は嫌いじゃないよ」と、太っていたときのことも否定しないでくれました。

――周囲の方々の反応は?

【丸山】ご近所の人は遠巻きに見ていたようで、「病気なのかもしれないと声をかけられなかった」と言っていました。ダイエットをしたからだとわかってからは、「遠くから見たら娘さんみたいだけど、近くで見たらそれなりね」と言っていました(笑)。

――83kgまでに至った経緯はどのようなものだったのでしょうか?

【丸山】更年期が終わってから50代後半あたりまでは75kgくらいで過ごしていました。その頃は子どもの進学、母の介護が重なり、それが原因かはわかりませんが、60歳前後から75kg、78kg、80kg、83kgと体重はどんどん増えていきました。最終的には自分自身のことがまったく考えられなくなっていたのは確かですね。

――65歳の頃にダイエットを始めたそうですが、なぜ一念発起されたのでしょうか?

【丸山】75kgを超えた頃から腰がだるくなり、足が痺れるようになりました。80kgくらいになると、10m歩くと腰がだるくて歩けなくなり、しばらくじっとしているとゆっくり動けるようになるという感じでした。病院に行ったところ、脊椎管狭窄症で脊椎が圧迫されて血液やリンパ液が流れなくなっているとのことで薬を処方されました。健康診断でも「脂肪肝」と判定されるようになり、痺れて曲がったままの脂肪肝の体で生きていくのかと感じたときに、「これは痩せなくては」と真剣に決意しました。

■体の栄養が整うと味覚も変わる 栄養の摂り方をきちんと学んだことで得たもの

――これまでにどのようなダイエット方法を実践されてきたのでしょうか?

【丸山】昔は「健康優良児」といって大きい子が褒められ、うちの両親も私が太っていくと喜び、頬が少しでもこけてくると夫婦喧嘩をするほどでした。だから、子どもの頃は痩せるなんてとんでもないことだったので、ダイエットを意識したことはありませんでした。

――大人になってからは?

【丸山】出産後は女性は太って緩んでいくものと思っていましたし、中年になると太るのが普通で、細い人は体質だろうとしか思っていませんでした。周りも体格の良い人が多かったのでダイエットは考えませんでしたし、趣味で声楽をしていたので「体が大きいほうが響きがいい」などと言って自分を納得させていましたね。

――最終的に「これでいける!」と転機になったダイエット法は何だったのですか?

【丸山】64歳の頃にダイエットを考え始め、食べないダイエットやファスティングは何度か行ったのですが、食べない生活を長く続けることはできないと思いました。そこで脂肪肝の対処法を調べたところ、栄養の摂り方を学ぶことの必要性を感じました。そんなときにYouTubeで見つけたのが、松田リエさんが提唱している「食べて痩せる方法」でした。

――具体的にどういったことをするのですか?

【丸山】そこでは、食事内容を見て、食べるものの量や栄養をバランス良く摂るための工夫などを導いてくれました。すべての栄養のこと、体のメカニズム、どうして太るのか、どうすれば痩せるのかといったことを教えてくれたため、これを食べなきゃいけない、これを食べてはいけないということもわかりました。

――今の体の状態は?

【丸山】肝臓の数値も標準値になり、コレステロールも標準値、脊椎管狭窄症の症状もなくなり、今はスタスタ歩けますし、走ることだってできます。腰の痺れもなくなりました。

――ダイエットを続けられたモチベーションは何だったのですか?

【丸山】「痩せたい!」「体が変わっていっている」「食べたもので今の自分ができているから、これから食べるもので自分は変わっていく」という気持ちです。毎晩「私は痩せている、痩せている」と思って寝ていました。毎日100~200gくらい痩せていきましたから、それだけでいいんです。

――やはり気持ちも大事なのですね。

【丸山】自分が自分を作っているという実感。甘いものを食べれば太るのだから、人体実験ですよね。自分の体の変化をこんなにも感じられるなんて素晴らしいこと。だから、毎日楽しくて全く苦しくなかったです。栄養満点の自分が出来上がっていきます。爪がきれいになり、指先がきれいになり、髪の毛がきれいになり、顔がスッキリします。パンツが緩くなってきます。そんな小さな変化がうれしいです。

■「私の人生はなんだったの?」と思うことも… 自分の人生の主人公になりたいと実感

 丸山さんは、現在では自身の経験や方法論を教えるまでに。ダイエット開始前に懸命に家族のために生きてきた自分を振り返り、年齢に関係なく「自分らしく生きることができる」と次のようにSNSでメッセージを発信し続けています。

「私だって好きで肥えてるんじゃないわよ。ストレスで、食べなきゃやってられなかったんだから。みんな私が悪いの?太ってるのも私が悪いの?太りたくて太ってるんじゃないわよ?私だって、スマートに綺麗になりたかったよ。いつの間にか、60を超えちゃっただけ。がむしゃらに家族のこと、家のこと、仕事をやってきた結果がこれ?これじゃああんまり可哀想よ。私も私らしく生きていきたい」

――このメッセージには、どのような想いがありましたか?

【丸山】子どもをちゃんと育てなければ、一人前にしなければということばかりで、自分のことを考えるゆとりなんてない。母親ってそんなものではないでしょうか。自分のことは後回しにして、子どものこと、夫のこと、親のことなどを優先する考えが染み付いています。でも、私は何のために生まれてきたのかと思うこともある。死の床について「私の人生はなんだったの?」と考えたときに、子どもを育てただけの価値しかないと思ったら、すごく情けなくなったんです。子どもを育て上げるのも立派なことですが、「私の人生ってそれだけ?」って…。

――世の母親の多くが感じることかもしれませんね。

【丸山】子育てが終わり、これからまだ20~30年人生があります。この先の生き方を模索できる力を持っていたい。自分を殺してきた生き方から、自分の人生の主人公になりたいと思いました。しゃんと生きていく術を持たないといけないと思いますし、やりがいと生きている意味を探したいとも思っています。

――これから先は、どのように過ごしていきたいですか?

【丸山】一日でも長く自分の足を地面につけて生きていきたい。生き生きと溌剌として元気でありたいと思っています。亡母(享年90)が「毎年歳を取るけど、そこは今まで行ったことのないところ。初めて行くところなのよ。楽しみで仕方がないわ!」と言っていました。私もその精神で、今まで行ったことのない世界に毎日行っていると思うと、ワクワクが止まりません。

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(2024年04月23日 17時30分 更新)

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