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民芸の在り方を体現 羽島焼に注目 創始者小河原虎吉 倉敷で回顧展

羽島焼の多彩な器が並ぶ会場。日常生活に寄り添う温かさが伝わってくる
羽島焼の多彩な器が並ぶ会場。日常生活に寄り添う温かさが伝わってくる
小河原虎吉さん=1965年ごろ
小河原虎吉さん=1965年ごろ
 2022年、惜しまれながら76年の歴史に幕を下ろした倉敷市羽島の民窯・羽島焼。その創始者小河原虎吉(1902~72年)の回顧展が、倉敷民芸館(同市中央)で開かれている。民芸の在り方を体現し、「無名の職人」に徹し続けた生涯が、約130点の器から浮かび上がってくる。

 急須と湯飲みのセット、茶わん、土鍋、コーヒー用の小さなミルクピッチャー…。展示室に並ぶ作品はどれも日常生活に即した普段使いの器ばかり。特に、泥状の化粧土で格子や波模様を描いた「スリップウエア」の皿の味わい深いたたずまいは、虎吉が心に抱き続けた民芸の精神を映しているかのようだ。

 倉敷市酒津に生まれ、14歳の頃から岡山を代表する民窯・酒津焼の窯場で陶工として働いた。そこに技術指導に訪れたのが民芸運動の中枢を担った陶芸家バーナード・リーチや浜田庄司、河井寛次郎。ろくろの前でひたすら器を作り続ける虎吉の技術に浜田は「日本一だ」と感嘆し、指導しようと意気込んでいたリーチも「腕まくりをしただけ損だった」と舌を巻いたと伝えられる。

 戦後間もない46年に独立。「倉敷に新たな民窯を」という実業家大原總一郎らの後押しを受け、羽島の地に築窯、羽島焼を興した。職人を雇わず、ただ一人で土作りから成形、施 釉ゆう、窯詰めまでこなし、年2~3回窯を 焚たいた。「仕事一筋で、小さいものから大きいものまで何でもござれの人だった」と最後の作り手として窯を担った四女常美さん(78)は懐かしむ。

 館蔵品や小河原家所蔵の作品を展覧する会場を巡ると、白釉や柿釉、くぎ彫り、指描きなど多様な釉薬や技法を取り入れていたことが分かる。灰釉の茶わんの丸窓模様は、同館の初代館長で民芸運動家だった外村吉之介の指導で制作した。鉄絵の水玉模様が素朴な酒器は、1958年にベルギーのブリュッセル万博でグランプリに輝いた作品と同じデザイン。個展をせず、公募展にも一切出品しなかった虎吉の唯一といえる栄冠だが、それも「買った人が知らないうちに出していたらしい」と常美さん。

 虎吉の死後は三女和子さんと夫勝康さんが常美さんとともに窯の火をつないだものの、夫妻が亡くなり、残された常美さんも高齢で後継者もいないことから窯を閉じた。森原絵理香学芸員は「郷土の民芸の一時代を担った窯と職人の仕事にいま一度、注目してほしい」と期待する。

 12月1日まで。祝日を除く月曜休館。

(2024年02月02日 15時31分 更新)

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