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観光スポット検索結果 188件

  • ジャンル:「文化財・史跡」
  • 地域:「全エリア」
  • 勝山武家屋敷館
    勝山武家屋敷館
    この武家屋敷は昔のままの姿を残している唯一の上級武士の家屋で(別名渡辺邸ともいう)、渡辺氏は家老格の名門で百六十石でした。 老朽化のため昭和61年に修復した際に土蔵を展示館とし、武家に関する資...
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  • 高梁市武家屋敷・旧埴原家
    高梁市武家屋敷・旧埴原家
    江戸時代中期から後期にかけて、百二十石から百五十石取りで、近習役や番頭役などを勤めた武士の住宅である。江戸中期の建築として平屋建て、桟瓦葺き、箕甲・入母屋造りで大ぶりな三ッ花懸魚を取付け、玄関に...
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  • 高梁市武家屋敷・旧折井家
    高梁市武家屋敷・旧折井家
    武家屋敷・旧折井家のある石火矢町は、両側に土塀が続き、格式のある門構えの家並みが見られ、岡山県指定の「石火矢町ふるさと村」の一角にあります。 この建物は今から170年前天保年間に建てられたもの...
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  • 薄田泣菫生家
    薄田泣菫生家
    明治時代に数多くの詩を発表し、大正時代以降は随筆の分野で多数の読者を魅了した薄田泣菫の家には、彼の詩集のほか、交友のあった芥川龍之介や与謝野晶子などの文人からの資料も展示されています。
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  • 河原邸
    河原邸
    江戸時代に建てられた大庄屋の屋敷で、母屋と2つの離れ座敷のほか、民俗資料展示室、蔵が設置されている学術的にも貴重な伝統建築です。歴史再発見の場として、また伝承、伝統、さらに新しい知的生産や学習・...
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  • 備中国分寺
    備中国分寺
    奈良時代に聖武天皇の発願によって全国に建立された国分寺のひとつ。仏教の力を借りて天災や飢饉(ききん)から国を守ることを目的に建てられました。現在残っている建物は江戸時代に再興されたもの。境内には...
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  • 小菅城址
    小菅城址
    那須氏一族が移住したとされる西江原町賀山にある山城の跡。
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  • 乙子城
    乙子城
    吉井川河口部東岸、岡山市乙子にある。かつて児島は瀬戸内海に浮かぶ島であり、児島と岡山平野の間は、吉備穴海といわれる内海であった。この内海は九州と畿内を結ぶパイプであり、源平の争乱の舞台にもなる重...
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  • 【休館中】岡山城(烏城)
    【休館中】岡山城(烏城)
    豊臣秀吉の家臣で豊臣五大老の一人・宇喜多秀家が築城した城。めずらしい不等辺五角形をした三層六階建ての天守閣は威厳のある佇まいで、黒い下見板張りの外観から、別名「烏城(うじょう)」と呼ばれています...
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  • 桜渓塾跡公園
    嘉永4年(1851年)に漢学者の阪谷朗廬が開いた「桜渓塾」を当時のまま保存整備している史跡公園です。「朗廬阪谷先生垂帷跡」の記念碑に刻まれた題字は、渋沢栄一が書いた文字。裏側に彫られた碑文の書も...
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  • 興譲館
    嘉永6年(1853年)開校の、一橋徳川家と地元有力者が運営した郷校です。漢学者の阪谷朗廬が初代館長を務めました。校門に掲げられた「興譲館」の扁額は、阪谷朗廬と親交のあった渋沢栄一が明治45年(1...
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  • 備中杉山城跡
    備中杉山城跡の杉山(別名:要害山、標高:226m)は里山づくり活動によって山頂及び遺構場所まで階段が整備されているので中世の山城跡を散策できます。 山頂に主郭(本丸)を構え、南北約350mの連...
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  • 唐臼墳墓群
    横穴式石室を持つ3基の後期古墳と奈良時代の火葬墓からなる墳墓群で、日本の葬制、墓制を知るうえで貴重な遺構です。
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  • 北の一本杉
    町指定の天然記念物で、推定樹齢400年とされています。一本杉の根元には、道行人々の安全を願う『道祖神』が祭られています。
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  • 下山本陣
    出雲街道勝間田宿場には諸藩の参勤交代に当って、津山藩主が専用としていた下山本陣と松江・勝山の藩主などが宿泊した木村本陣(出雲本陣)がありました。現在は下山本陣の一部が残っていたものを改修保存し、...
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  • 旧木村家住宅土蔵
    土蔵造二階建で、壁の大部分は海鼠壁として特徴ある外見を見せています。土蔵は、勝間田宿旧脇本陣の建造物として残された唯一の遺構で、参勤交代の要衝でもあった宿場町の景観を今に伝える建造物として貴重な...
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  • 植月の角土俵
    土俵が四角いため、角土俵と呼ばれています。国内に現存し、使用されている唯一のものとされ、「角力」と書いて「すもう」と読みます。毎年隣接する小学校の小学生により、角力大会が奉納されています。
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  • 鍛冶屋谷たたら遺跡附供養塔
    中和村との境界に近い山中にある江戸末期から明治20年代にかけて稼動した製鉄遺構。山内にはタタラ跡や作業小屋跡など一連の遺構がよく残っています。
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  • 旧矢掛脇本陣髙草家住宅
    本陣の予備にあてられた建物です。当時、宿場の両替商で庄屋役でもあった髙草家が選ばれました。特に白壁、張瓦の堅固な建築様式が美しいのが特徴です。本陣から400mの場所にあり、本陣と共に国の重要文化...
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  • 下道氏墓
    丘陵の斜面を整地して造営された下道氏の墓地。ここから和銅元年(708)の銘文のある銅製骨蔵器等が発見され、奈良時代の墓制を知ることができる貴重な遺跡とされています。
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