就実バレー生みの親 高木さん死去 「教え子たち岡山の宝」惜しむ声
就実高女子バレーボール部を5度の全国制覇に導いた高木直紀さんが昨年11月に亡くなっていたことが分かった。伝統校の礎を築いた名将の訃報に、教え子や競技関係者からは惜しむ声が寄せられた。
高木さんは1965年の監督就任以来、サーブやレシーブなど基礎を重視した指導で就実高を全国屈指の強豪に育てた。「厳しさの中に優しさがあった」と振り返るのは75年の全国高校選抜大会で岡山県勢初の日本一になったときの主将・安達照子さん(65)。「怒られると思っていたら褒められる。選手のやる気を引き出す天才だった」と懐かしむ。
95年はインターハイと国体の2冠を達成。当時のエースで2015年から母校の指揮を執る西畑美希監督(45)は、高木さんが振る舞ってくれた手料理の味が忘れられないという。「少しでも新鮮でおいしいものを、と市場まで買い出しに行ってくれた。選手最優先の姿勢は先生から学んだ」と感謝する。
「就実バレーの生みの親」から、多くの名選手や指導者が羽ばたいた。県バレーボール協会の槙本亨理事長(69)は「先生の教え子たちは岡山のバレーボール界の宝」と功績に敬意を表した。
高木さんは1965年の監督就任以来、サーブやレシーブなど基礎を重視した指導で就実高を全国屈指の強豪に育てた。「厳しさの中に優しさがあった」と振り返るのは75年の全国高校選抜大会で岡山県勢初の日本一になったときの主将・安達照子さん(65)。「怒られると思っていたら褒められる。選手のやる気を引き出す天才だった」と懐かしむ。
95年はインターハイと国体の2冠を達成。当時のエースで2015年から母校の指揮を執る西畑美希監督(45)は、高木さんが振る舞ってくれた手料理の味が忘れられないという。「少しでも新鮮でおいしいものを、と市場まで買い出しに行ってくれた。選手最優先の姿勢は先生から学んだ」と感謝する。
「就実バレーの生みの親」から、多くの名選手や指導者が羽ばたいた。県バレーボール協会の槙本亨理事長(69)は「先生の教え子たちは岡山のバレーボール界の宝」と功績に敬意を表した。