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玉野沖の無人島・大槌島に上陸 歴史、神秘 心引く”風貌”

 おむすびやピラミッドのような整った三角形が異彩を放つ「大槌島」は、玉野市向日比の港から南へ約4キロの沖合に浮かぶ小さな無人島だ。江戸時代、備前と讃岐の国の間に起きた境界論争を経て、以来、島の中央に岡山、香川県の境が走る「県境の島」でもある。ここには海の安全を願う小さな社があり、年に1度、神事と清掃を行っている宮司たちに同行して、大蛇伝説が残る島に上陸した。
島の形がおむすびのような大槌島
島の形がおむすびのような大槌島

 4月3日午前9時、港に集合した20人弱の一行と船に乗り込んだ。青空の下、瀬戸大橋を横目に波をかき分けて大槌島に向かっていくと、まるで“巨大なおむすび”が迫ってくるような感覚に。わずか10分ほどの船旅だったが、心和むひとときになった。

 青い波が打ち寄せる砂浜に船から降り立つと、そこの地番は「日比5丁目」。岡山県である島の北側は、対岸に立つ御前八幡宮(御崎)の所有で、宮司は大槌神社と呼ばれる島の社の神職を兼ねる。
大槌神社周辺の草木を伐採する宮総代ら
大槌神社周辺の草木を伐採する宮総代ら
 
海岸近くまで迫る山の斜面は急で、目指す神社がある場所はその中腹。下から見上げても、うっそうとした緑に覆われ、どこにあるか見当もつかない。草刈り機を手にした御前八幡宮の堀正臣宮司(65)が先頭に立ち、鎌などを手にした宮総代らとともに、生い茂る草木を切り払いながら登っていった。

 急勾配の山道に時折、体のバランスを崩しそうになりながら30分ほど登ると、神社が見えてきた。高さ70センチほどの石造りの小さな社。建立はいつか分からない。長年の雨風によるものなのか、社に傷みはあったが、それがかえって、眼下の海を行き交う船の安全を守ってきた歳月を思わせ、畏敬の念を抱いた。
大槌神社で朗々と祝詞を上げた堀宮司
大槌神社で朗々と祝詞を上げた堀宮司

 神社周辺の伐採も終わり、参加者が一息つくと、神事が始まった。「大海原の限り、吹く風の吹き荒るることなく、立つ波の立ち騒ぐことなく…」。祝詞を上げる堀宮司の朗々とした声が、吹き抜ける海風に乗って、寄せては返す波の音とともに響いた。宮総代たちも静かにこうべを垂れ、祈りをささげた。

大蛇伝説

 大槌島の大蛇伝説は、50年ほど前に発行された市史に掲載されている。島から渡ってくる「人をなやます大蛇」を、弓の名手が退治したといい、「今も大蛇が棲(す)んでいると思っている人は多い」と記す。島に渡る前日には、御前八幡宮で代々、宝物として受け継がれてきた大蛇の下あごの骨を堀宮司に見せてもらい、伝説の一端に触れた。

 その一方で、神事と清掃に毎年、参加してきた人からは、大蛇どころか、「島で蛇を見たことがない」との声が。いろいろな不可思議さが、伝説を伝説たらしめているのか。いろいろ考えを巡らせるのも一興だという思いに至った。

県境の石塚 

 帰路、船で島を一周してもらった。岡山と香川の県境を示す石塚を記事で紹介したかったからだ。島の西側で参加者が指さす方向を見ると、ごつごつとした岩肌に立つ石塚が目に入り、夢中でカメラのシャッターを切った。「界」「岡山」「香川」といった文字が刻まれていた。
岡山、香川の県境を示す石塚
岡山、香川の県境を示す石塚
 
 江戸時代、大槌島の東の漁場を巡って論争が起こり、幕府から島の中央を境とする裁定が下った。市史によると、「毎年双方の村役人が境の石を確認し、頂上の平地で宴を催すことが昭和の初年まで続いていた」とある。県境の島となった歴史を今に伝える石塚を目にでき、感慨深いものがあった。

 島での驚きの出会いも記しておきたい。山道を下っているとき、直島町の知人とばったり。「なぜ、ここに」と尋ねてみると、山登りを楽しみに訪れたという。歴史、神秘性に富み、その“風貌”で人の心を引きつける大槌島。登山という形で親しまれている一面も知り、この島が持つ多面性に舌を巻いた。

玉野

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