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【記者が行く】なぜ造山古墳に「疫神」の石碑? 疫病封じ願い、住民建立か

造山古墳にある「疫神」の文字が刻まれた石碑。疫病封じを願って建てられたとみられる。右は定広会長
造山古墳にある「疫神」の文字が刻まれた石碑。疫病封じを願って建てられたとみられる。右は定広会長
 造山古墳(国史跡、岡山市北区新庄下)を訪れた際、前方部に「疫神」と刻まれた石碑があるのを見つけました。新型コロナウイルスが流行している現在のように、建てられた当時も何か病気が蔓延(まんえん)していて、その平癒を願ったものかと思います。どういういわれなのでしょうか?〈井原市、男性(67)〉

 5世紀前半の築造とされ、全国4番目の墳丘規模(全長約350メートル)を誇る前方後円墳・造山古墳。実際に足を運び、墳丘を登ってみると、地域の平穏を願ったとされる小規模な神社(荒神社)や石棺などがある前方部の頂上の一角に、確かに石碑が立っていた。

 ざっと測ると、高さ75センチ程度、幅45センチ程度。自然石を思わせる形の石の正面には「疫神」の文字が彫られているが、背面や側面はつるんとしていて文字などはない。参る人がいるのだろう、碑の台座には小銭が置かれている。碑を見る限りでは、ほかに得られる情報はない。

 そこでまず地元・造山町内会の定広好和会長(74)に話を聞きに行く。定広会長によると、無病息災を願う町内の行事として春と秋の年2回、石碑を拝んでいるとのこと。しかし、「碑がなぜここにあるのか、なぜ建てられたのかは知らんなあ」。

 それならばと、次に市教委文化財課を訪ねた。造山古墳を管理している部署だ。対応してくれた高橋伸二主査からは「当時、はやり病があったこと、地元の人が建てたことは間違いないだろう」と説明を受けたが、それ以上の詳しい建立年代や病の種類は不明で、ここでも手掛かりはつかめなかった。

 最後の頼みの綱として、井原市美星町出身で、日本の習俗に詳しい民俗学者・神崎宣武さん(76)に石碑の写真を確認してもらった。が、やはり「よく分からない」。それでも神崎さんは、石に字を刻む技術が用いられているため「江戸時代の元禄期(1688~1704年)以降の制作と考えられる」と推察。西日本ではかつて、疫病封じを願って石碑や社を設ける風習が多く見られたことも教えてもらった。

 江戸時代に蘭方医の緒方洪庵=現在の岡山市北区足守地区出身=が種痘(ワクチン)の普及に心血を注いだ「天然痘」、江戸から明治時代にかけて大発生し、岡山でも猛威を振るった「コレラ」…。石碑建立の背景にあった疫病が何かは残念ながら分からなかったが、医療が未発達だった時代の人たちが一日も早い収束を願った“神頼み”のための石碑であることには間違いない。記者も碑に向かって新型コロナの早期収束を祈り、その場を後にした。

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