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戦没の父から70年越しのはがき 岡山の岸さん「存在実感できた」

戦地からのはがきを読んで父の存在を初めて身近に感じたと話す岸さん
戦地からのはがきを読んで父の存在を初めて身近に感じたと話す岸さん
岸正志さん
岸正志さん
正志さんから届いたはがき。「戦局苛烈」などの文字が見える
正志さんから届いたはがき。「戦局苛烈」などの文字が見える
 岡山市北区の岸圭子さん(76)は、生まれる半年前に父・正志さん(享年34)が太平洋戦争に出征、そのまま亡くなった。遺影の軍服姿しか知らないまま育ち、長く人生を送ってきたが、4年前、戦地から届けられた64枚の軍事郵便はがきを見つけた。初めて触れた父の言葉。端々に優しい人柄がにじみ、「やっと存在を実感できた」と涙があふれた。が、同時に「父を奪われた悲しみもあらためて深まった」。家族を引き裂いた戦争の非情さに、今も憤りは消えない。

 「父はいないものだと決め、母娘2人でずっと生きてきました」。岸さんが正志さんについて知っているのは、陸軍兵として出征する前に撮影した遺影に写る軍服姿の若い顔だけ。2015年に99歳で他界した岸さんの母・多亀子さんも、当時の記憶を封印したかのように多くを語らなかったという。

 はがきを見つけたのは、多亀子さんが亡くなった翌年。遺品を整理していた際、たんすから出てきた。1943年9月から44年11月にかけて旧満州(中国東北部)や台湾などから送られ、一つの封筒にまとめて保管されていた。

 出征後に暮らしを支える多亀子さんや戦地での生活を気に掛けていた正志さんの父・豊次郎さんに宛てたものをはじめ、留守を頼んだ兄へ、運動会を控えたおいへ…。家族や親族につづられた文面には一人一人の健康や幸せを思いやる気持ちが随所にこもり、岸さんは「父は細やかな気配りができる優しい人だったと分かりました」とほほ笑む。

 正志さんは45年5月、フィリピンのルソン島で死亡した。厳しい戦況を身を持って感じていたのか、その半年前、多亀子さんに宛てた最後のはがきには、きちょうめんな文字でこう書かれていた。「俺は生きて帰るとは思っていない。お前は圭子を立派に育て上げるのが唯一の仕事だ」

 はがきがしまわれていた封筒は、ひどくくたびれていた。「きっと母は何度も取り出しては読み返していたんでしょう」と岸さん。「農業に励みながら一人で娘を育て上げた母にとって、この手紙が心の支えになっていたんだと思います」と振り返る。

 父からのはがきは、岸さんにとっても「私にも尊敬できる父がいたんだ」という大切な証しとなった。だからこそ「父を初めて身近に感じた分、一度も会うことなく死んでしまったことがなおさら寂しい。生きて帰ってほしかった」と泣いた。

 「肉親を亡くし、つらい思いを抱えて生きてきた人は多いと思う。戦争は二度とあってはならない」。75回目の終戦の日を前にその思いを強くしている。

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