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岡山空襲75年 時代に応じた継承模索を

 岡山空襲からきのうで75年となった。太平洋戦争末期の1945年6月29日未明、岡山市を襲った138機の米軍のB29爆撃機が投下した焼夷(しょうい)弾により市街地の6割以上が焼失し、少なくとも1737人が亡くなったとされる。

 冥福を祈り、不戦の誓いを新たにする機会としたい。そのために悲劇を語り継いでいかねばならない。

 岡山市北区の岡山シティミュージアムでは、同市主催の「第43回岡山戦災の記録と写真展」が来月5日まで開かれている。古い写真や絵画、残された焼夷弾の一部など約300点が展示され、空襲の実相や当時の市民生活、その後の復興を伝える。

 こうした市が所蔵する戦災関連の資料は約9400点に上る。市民の寄贈したものが多く、昨年度は警防団の腕章や軍隊手帳など516点が22人から託された。大切に保存してきた品に違いなく、有効に生かしてもらいたい。

 市は空襲体験者の証言も聞き取っており、これまでに約330人が応じた。同展会場には、この1年間の7人の証言パネルがあった。

 「家族で寝ていたら家のすぐ前の東側に爆弾が落ち、まわりは真っ赤になっていた」「女性が焼夷弾の直撃を受けて倒れるのを目の前で見た」

 子どもの頃の記憶だが、戦争の悲惨さを伝える生々しい声だ。こうした資料や証言をいかに受け継いでいくかは大きな課題である。

 今年は新型コロナウイルスが、空襲を伝える活動にも影を落とす。感染防止のため、戦災の記録と写真展ではシンポジウムが中止となり、土日曜日の学芸員による展示解説は規模を縮小した。市民団体「岡山の戦争と戦災を記録する会」が毎年、この時期に行う同市内の戦争遺跡めぐりは10月に延期となった。

 きのう、市役所で営まれた同市戦没者追悼式も遺族の代表ら16人に参列者を絞った。約1500人が岡山市民会館(同市北区)で慰霊した昨年に比べ寂しい式となった。

 来年は元通り行われることを願うものの、空襲体験者はますます減り、犠牲者と直接つながる遺族も高齢になる。慰霊の在り方を見直していかざるを得ないことは確かだ。

 記憶の継承では、自宅などで接することができる情報の充実が重要になる。インターネットを活用したコミュニケーション手段のリモート化の流れを取り入れていきたい。

 岡山市は岡山シティミュージアムに併設の岡山空襲展示室で資料を展示するとともに、平和学習のために焼夷弾のレプリカやDVDを貸し出し、昨年度は小中高校など63件の利用があった。その意義は大きいが、収集した資料や証言を整理し、ネットで公開することにも一層、力を注いでほしい。展示室に足を運びにくい人も接しやすくなる。

 戦後75年の節目の夏。時代に応じた慰霊や継承の形を模索していく時である。

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