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神社

宗忠神社(むねただじんじゃ)

黒住教教祖・黒住宗忠を祀る神社境内
黒住教教祖・黒住宗忠を祀る神社境内
宗忠神社(むねただじんじゃ)
拝殿に続く石畳
拝殿に続く石畳
神楽岡・宗忠神社(京都市左京区)
神楽岡・宗忠神社(京都市左京区)
ご祭神
ご祭神
御鳳輦を中心に華麗な時代絵巻「御神幸」
御鳳輦を中心に華麗な時代絵巻「御神幸」
七夕まつり
七夕まつり
今村宮
今村宮
どんど祭
どんど祭
「眼病平癒御守」「子授け守」
「眼病平癒御守」「子授け守」
勧学祭(ランドセル祓い)。「勧学」とは学問を奨励すること。子どもたちが新たな学舎へ安全に通い、元気に勉学へ励めることを祈る。
勧学祭(ランドセル祓い)。「勧学」とは学問を奨励すること。子どもたちが新たな学舎へ安全に通い、元気に勉学へ励めることを祈る。
“大元さま”で知られる、「黒住教」発祥の神社

<歴史>

「開運の神様」として県内外から崇敬される

 黒住教の教祖である黒住宗忠がご祭神の宗忠神社は、1885(明治18)年に鎮座。これは、孝明天皇の仰せ出された唯一の勅願所である神楽岡・宗忠神社(京都市)に続くもの。

 ご祭神の黒住宗忠は江戸時代の神道家で、備前国御野郡今村宮の禰宜の三男として生を受けた。大病の後、1814(文化11)年の冬至の日、朝日に手を合わす中に、日神(天照大御神)との感激の一体感を得て、立教。広く布教につとめた。

 かつて、この宗忠の教えが伊勢神宮の神官より「神道の教えの大元」と称えられたことから、同神社は「大元さま」という名でも親しまれてきた。神社の隣に黒住教本部の本殿があったが、周辺の都市化が進むにつれ、壮大な日の出を求めて1974(昭和49)年に本部を神道山(岡山市北区尾上)に遷座。その後も神社はご祭神の生誕地として、家内安全、学徳成就、病気平癒、厄除、事業繁栄など広く「開運の神様」として崇敬されている。

<見どころ>

岡山の春を彩る「御神幸」 「通り抜け参拝」で合格祈願

 街中にありながら、静かで落ち着いたたたずまいの境内は、厳かな本殿と拝殿のほかに、黒住教の元の神殿だった建物を改修した武道館がある。同館は柔道や剣道など青少年の健全育成のために広く市民に開放されている。

 また、宗忠神社で最も有名な祭事が「御神幸」。これは同神社の鎮座を記念して始められたもので、毎年4月第1日曜日に開催。そもそもは黒住宗忠が生前に仕えていた今村宮(岡山藩の守護神社)へ、鎮座の奉告と世界大和を願って御鳳輦を渡御したのが始まりとされる。市民の熱望により1891(明治24)年からは、御旅所を岡山後楽園にして、華麗な時代絵巻の行列が岡山市中を粛々と進む春の名物行事へと発展し、広く親しまれている。

 そのほか年間行事として、1月の「どんど祭」、2月の「節分祭」、夏の「大祓い夏まつり」、「七夕まつり」などがある。

 また、1~2月は本殿前を特別に通り抜け(合格)することができる「通り抜け参拝」や、「合格祈願ご祈念」を目的に多くの受験生が訪れる。

ご案内

住所/〒700-0972 岡山市北区上中野1-3-10
TEL/086-241-0148
HPアドレス/https://www.munetada.jp/
https://www.kurozumikyo.com/
交通/山陽自動車道・岡山ICから車で20分。JR瀬戸大橋線・大元駅から徒歩10分
ご祭神/宗忠大神(むねただのおおかみ)
創建/1885(明治18)年
ご利益等/開運、家内安全、病気平癒、眼病平癒、良縁達成、厄除、学徳成就、合格達成、交通安全、事業繁栄 ほか

年間行事

1月1日/元旦祭
1月14日/どんど祭
1~2月/合格祈願祭(通り抜け参拝)
2月(節分の日)/節分祭
3~4月/勧学祭(ランドセル祓い)
4月第1日曜日/御神幸
7月28日(令和6年)/大祓い夏まつり、七夕まつり
11月15日/七五三詣(通年可)
12月22日(令和5年)/冬至祭
12月31日/除夜祭
※令和6年5・9月/ごちそう神社(マルシェ)

【ここ、知ってる?】

東郷平八郎の直筆を模刻した石碑

 石碑の「宗忠神社」の文字は、東郷平八郎元帥の直筆。ご祭神の教えを心のよりどころとして戦いに臨んだ元帥が、自ら認め天佑神助(てんゆうしんじょ)を感謝した。また、拝殿の社名額を染筆したのは伏見宮文秀女王。それぞれの文字をあしらった特製御朱印もある。

(2023年10月11日 02時20分 更新)

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