山陽新聞デジタル|さんデジ

同じことを考えている20代のみなさんへ なぜ上山で暮らし、鹿革を始めたのか

毎年増えていく棚田団の仲間たち
毎年増えていく棚田団の仲間たち
人が増えればきれいになる棚田も増えます
人が増えればきれいになる棚田も増えます
鹿革の製品。よりよいモノづくりを目指します
鹿革の製品。よりよいモノづくりを目指します
皆さまの協力でクラウドファンディングに成功しました。今後も魅力ある製品を出していきます
皆さまの協力でクラウドファンディングに成功しました。今後も魅力ある製品を出していきます
 革の加工品作りなどに取り組む合同会社・Tsunag(ツナグ、美作市上山)を立ち上げ、市内で捕獲したシカの革を使った小物の開発に向け、インターネットで資金調達するクラウドファンディング(CF)に挑戦しました。200人以上の方から購入、支援していただき200万円の目標も到達できました。支援いただいた皆様、本当にありがとうございます。そして、奥さんと周囲の皆さんのご協力に感謝いたします。

 大学を出て10年。鹿革のことを試行錯誤し始めてから6、7年たちます。私自身はもともと環境問題などに興味があり高校卒業後、進学で岡山に来ました。いまは鹿革に夢中です。やることは変遷してきましたが、いまなぜ上山地区に住み、身近な自然や里山環境を改善しているかというと…目に見える結果につなげていきたいという思いからです。最終回は、同じようなことを考えている20代にも届けばと思い、大学時代からの興味の移り変わりを書いていきます。

始まりはゴミ拾い


 大学で学ぶ環境問題のことは、世界や日本で起きていることを平たく、何となくでした。これではいけないと思いますが、問題が大きすぎてどこから手をつけたらよいかも学生の僕には分かっていなかったのです。

 大学では「一緒にゴミ拾いやろう」と友人3人でサークルを作りました。主に朝、大学構内で缶を拾い、授業に出る。その繰り返しの日々でした。「この調子でアルミの空き缶を拾ってプルタブを集め続けたらたくさんの車いすづくりに貢献できるはずだ」。そんな妄想を抱えながら過ごしていました。ある時、何キロ集めたら車いすになるのか冷静に調べて計算してみると、必要量に到達するのは10年後。とっくに卒業しているのではないかと気づき、やめました。

国際協力へ


 次は顧問の先生に勧められ、国際協力をしようとなりました。ネパールに草の根の活動をしている「OKバジ」(“バジ”はネパールの言葉で“おじさん”の意味、日本人の方です)というすごい方がいるから行ってみなさいということでした。サークルの3人が中心となりスタディーツアーを企画。1年目は5人、2年目は15人ほど、3年目は10人、4年目は8人ぐらいと、年1回のツアーを行います。

 電気・ガス・水道などのインフラも整っていない途上国の田舎へと行ったのです。現地へ着くと問題は山積みでした。仕事が農業しかない▽若者は都会へ行く▽木を切りすぎて、はげ山が多い▽衣食住、医療、教育が行き届いていない▽エネルギーは薪のみ。時々太陽光と小水力、都市部でも停電は1日当たり14時間-など。日本で当たり前のことが、当たり前ではなかったのです。でも現地の方々は生きる活力があり、元気をたくさんもらうことができました。

 何より一番参考になったのは「OKバジ」が、ネパールの農村部で衣食住・医療・教育・エネルギーと多岐にわたり、村人の支援を行っていることでした。全てが暮らしにつながっていて、見守っている視点があるからこそ、偏りのない自立を促す協力をしていることがわかりました。日本へ帰り、改めて視野を広げて大学での研究(これは落ちこぼれ級にダメ院生でした)、就職活動、環境コンサルへのインターン、農家のお手伝いなど頑張れるだけ頑張りました。その時、たまたまインターン先でお世話になった方に連れられて、ここ上山へ初めて訪れます。

現場が大事という視点


 大学では棚田のこと、耕作放棄地や農家が少ない、里山が荒れていると習います。分かっているつもりでしたが、何も分かっていませんでした。座学で棚田の機能、水路の作り方、圃(ほ)場整備の考え方とか学んでいた気はしますが、いざお米づくりに関わる活動に入れば何が何だか分かりません。

 月に1、2回、学生気分(学生なんですが…)で上山へ足を運び、草刈りをして、水路を掃除する。これがとてもしんどいけどやればやるほど身につきます。そこには一緒に汗を流す棚田団のメンバーがいました。なんで休みの日を返上して大阪から上山棚田まで来るのか。それを知りたくておしゃべりに参加していた気もします。徐々に里山の環境問題にも近づいてきました。

なぜ鹿革?


 漠然と環境問題に興味があったわけですが、棚田の作業体験しながら関わる大人に影響されて、耕作放棄地を再生し水田や畑に戻し、きれいになれば良いこと尽くしではないかと思うようになりました。荒れ果てた農地がきれいになると、耕作放棄地として何も生産しなかった土地にお米ができる▽地元の人が喜ぶ▽景色がきれいになる▽汗をかいた後の温泉、ビールが良い▽獣が遠のく▽土砂崩れしにくくなる-などいろいろいいことがあります。

 そんな暮らしをしながら鹿や猪が里山にはたくさんいることも知りました。食べることができるなら食べてみたいと思い、狩猟免許を取って近所の猟師さんに教えてもらい捕獲します。自分でお肉を得る手段があることにロマンがありました。狩猟を始めるきっかけはそんな食欲からです。

 関わる年数が長くなればなるほど野生動物が及ぼす被害が多いことを知ることになります。棚田を再生すると一度は遠のく野生動物。でも、農作物が生産され始めるとまた狙ってきます。イタチごっこなのです。

 里山で暮らし続けるためには野生動物と付き合い続けなければなりません。そのようなことがわかってきた移住2年目。実家で父親らと話をするうちに、親戚関係も革のことを仕事にしている人がいることを再認識しました。「そうだ、動物の皮は革になるのだ」と当たり前のことを思いつきます。皮革工場で試しに鹿革が仕上がると感動しました。おぉ、なんか良いものができそうだ!と。

鹿革の魅力


 鹿革は日本人が昔から利用してきた革でもあります。剣道や弓道の武具などもそうです。歴史の中で、鹿との戦いも今に始まったことではなく、幾度となく日本人はやりあってきているそうです。その歴史さえも面白いなと感じています。

 肌触りが良い、軽い、しなやか、耐久性がある鹿革。身の回りのものにも使いやすい。デメリットは傷がつきやすいことですね。なめし革、毛皮、セーム革、白なめし革として商品を展開できることも他の革とは違うポイントです。

ネガティブからポジティブに


 先ほど書いたような鹿革の魅力もありますが、現在里山が直面する最大のハードルが「野生動物の被害」だという気がします。でも鹿が悪いわけでもないとも思うのです。たまたま里山に人が減って、鹿が増えたということです。増えた原因は天敵がいなくなったとかもありますが、そこを掘るとまた長くなるので…。捕獲して得られる鹿肉はおいしいし、革も魅力的なものになる。

 この皮を革にして商品として持ってもらうことができるクオリティーにもなりました。鹿は被害を与えているものというネガティブな印象ではなく、こんな良いものができる素材なのだというポジティブな印象にして最大限活用していきたい。関わる人が増えることで鹿も活用し、棚田がきれいになっていく、そんな商品にしていきます。

 ちなみに鹿セーム革は一昔前に新車には必ず付いてきたようです。フロントガラスなどを拭くととてもきれいになるのです。白なめし革はスキンケアに使え、肌を整えてくれます。いろいろな商品展開も考えられるので、関わったら楽しそうなプロジェクトを打ち出していきます。このことは10年間やってきた棚田再生の活動と、根っこの部分は一緒です。ひとつひとつ鹿革の魅力を深掘りしながら手に取っていただける方を増やしていきます。

 最後に、とあるサイトで「共感でお金を集める時代は終わった?」とありました。安易に共感を謳(うた)うことは虚(むな)しいぞと、ある種の強要にもなっているのだよ、と。この一文は僕の中でも腑に落ちました。共感ではなくても、たまたま見つけて気まぐれででも「なんか良いな」、「試しに手に持ってみたい」、「写真かっこよいな」、「商品よさそうだな」とかいった感じでウェブサイト(https://www.tsunag-ueyama.com/)を見てやってもらえるとうれしいです。


 今に至る流れを思いつくままに書きました。3年間にわたって、本当にありがとうございました。
=おわり



 梅谷真慈(うめたに・まさし) 奈良県出身。1986年生まれ。2011年、岡山大学大学院環境学研究科修了後、SNSをきっかけに関わりを持った美作市・上山地区に移住。棚田再生に取り組むNPO法人英田上山棚田団の理事を務めている。棚田団の活動は13年、日本ユネスコ協会連盟による「プロジェクト未来遺産」に登録、16年には農林水産物や景観などを生かした地域活性化の成功事例「ディスカバー 農山漁村(むら)の宝」(内閣官房など主催)に選ばれた。棚田団のホームページ(http://tanadadan.org/)でも発信中。

(2020年03月31日 10時02分 更新)

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