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64年東京パラ出場 世界広がった 元岡山盲学校教頭・竹内昌彦さん

「パラリンピック出場で人生が豊かになった」と語る竹内さん
「パラリンピック出場で人生が豊かになった」と語る竹内さん
1964年の東京大会で優勝した竹内さん。金メダルを首に掛けている
1964年の東京大会で優勝した竹内さん。金メダルを首に掛けている
 2020年東京パラリンピックを特別な思いで迎えようとしている人が岡山県内にいる。1964年の前回東京大会で視覚障害者の卓球に挑み、金メダルを獲得した元県立岡山盲学校教頭の竹内昌彦さん(74)=岡山市中区八幡東町=だ。「パラリンピック出場によって世界が広がり、人生が豊かになった」。同一都市では史上初めて2度目の開催となる障害者スポーツの祭典に、若き日の記憶を重ね合わせながら「障害への理解がさらに深まるきっかけになれば」と期待を寄せる。

 竹内さんは1945年に中国・天津で生まれ、敗戦後、日本への引き揚げ船の中で肺炎による高熱で右目を失明。わずかに視力が残った左目も、8歳の時に完全に見えなくなった。

 偏見を恐れ、障害のある子どもを隠す家庭も少なくなかった時代。それでも両親は「世間知らずになってはいけない」とたびたび外に連れ出した。特に父は夏になると川で水泳を、秋や冬には山登りを経験させてくれたといい、「おかげで体が鍛えられ、メダルの獲得に必要な運動神経も養われた」と語る。

 卓球は岡山盲学校の高等部で教員に勧められて始めた。音の鳴る専用ボールを使う競技に没頭し、卓球部を創設。19歳の時、県予選を突破してパラリンピック出場を果たした。岡山駅に見送りに来た無口な父が「竹内昌彦、万歳」と叫んだことが忘れられないという。

 その当時、視覚障害者の卓球はまだ国際競技ではなく、本戦出場は国内選手数人だったが、総当たり戦を1セットも落とさずに勝ち抜いた。表彰台でずっしり重いメダルを首に掛けられた瞬間、「『親孝行ができた』という喜びがこみ上げてきた」。

 さまざまな障害のある選手と交流し、多くのことを学んだ。車いすの人は列車の乗り降りやトイレに介助が必要なこと、聴覚障害者は声を掛けられても気付かないこと…。「もっと大変な人がいるのだから、自分の境遇を嘆いてばかりではいけない」と強く感じ、前向きに生きる覚悟が決まったという。

 金メダルは大切な人との出会いにもつながった。岡山に凱旋(がいせん)後、東京教育大(現筑波大)を目指して受験勉強に励む姿が新聞に取り上げられると、点字で励ましの手紙が届いた。送り主は現在の妻だ。2人は交際を経て結婚、子宝にも恵まれた。

 大会では残念に感じたこともあるという。熱狂の渦に包まれた東京オリンピックとは異なり、スタンドに空席が目立ったことだ。ただ、半世紀を超える歳月を重ね「パラスポーツが競技として着実に浸透してきた」と感じ取っているだけに、56年ぶりの東京開催に期待は膨らむ。

 「今度こそオリンピックと同じように会場が観客でいっぱいになり、アスリートの活躍に注目が集まることを心から願う。そのことが、障害への一層の理解につながると信じている」

 たけうち・まさひこ 失明体験を通じて命の大切さを訴える講演活動を約30年前から展開し、講演の謝礼などを寄付してモンゴル、キルギスに職業訓練学校を開設。2016年には発展途上国で子どもの視力回復を支援するNPO法人・ヒカリカナタ基金も立ち上げた。17年度に三木記念賞を受賞。

(2020年01月02日 17時06分 更新)

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