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宇喜多久家の書状 新たに3通 活躍時期や系譜の再考迫る

新たに確認された宇喜多久家の書状のうちの1通。竹原荘の運営に関することが書かれている(辰田さん提供)
新たに確認された宇喜多久家の書状のうちの1通。竹原荘の運営に関することが書かれている(辰田さん提供)
辰田芳雄さん
辰田芳雄さん
宇喜多久家の書状 新たに3通 活躍時期や系譜の再考迫る
 戦国大名宇喜多氏の直系祖先とされる備前の武将、宇喜多久家の書状3通が12日までに、京都・賀茂別雷(かもわけいかづち)神社の「賀茂別雷神社文書」(国重要文化財)で新たに確認された。いずれも社領の竹原荘(現岡山市東区竹原)の運営に関する16世紀前半の書類で、従来15世紀末頃とされていた久家の活躍時期や一族の系譜について再考を迫る。調査した東京大史料編纂(さん)所共同研究員の辰田芳雄さん(67)=赤磐市=は「史料が少なく、謎に包まれた久家の動向の一端がうかがえる貴重な発見」としている。

 久家は戦国初期の武将で、備前国守護の赤松氏か守護代浦上氏に仕えたとみられる。明応年間(1492~1501年)に他家の領地相続を認めた文書や、直前に西大寺(西大寺観音院)に土地を寄進した記録が残っている程度で、生没年も不詳。浦上氏の重臣として活躍した宇喜多能家(よしいえ)(?~1534年)の父、戦国大名に成長した直家(29~81年)の曽祖父とされてきた。

 辰田さんは元高校教員で中世史が専門。現在は朝日高(岡山市)補習科の非常勤講師として日本史を教える傍ら、2018年度から同編纂所の所外共同研究員になった。約1万4千点に上る賀茂別雷神社文書のうち、竹原荘に関する約30点を精査し、久家の花押が入った3通を確認した。

 いずれも同神社の関係者宛てとみられ、竹原荘の代官に任命された礼や、年貢の納付状況を報告する内容。代官職を形式上は浦上氏とするよう求める記述もある。3通とも日付のみで年号はないが、同文書で久家について記載している別史料などから1通は1513年、残る2通は翌14年と判断した。

 従来は1500年前後で久家と能家の活動が入れ替わり、家督を相続したと考えられてきた。今回の史料で久家が16世紀に入っても家長のような働きをしていることから、辰田さんは二人の関係などの再検討が必要と指摘する。「親子だったと裏付ける史料はなく、活躍時期が重複することで二人は兄弟や名を変えた同一人物だった可能性も出てきた」という。

 宇喜多家史談会の森俊弘理事は「宇喜多氏は知名度の割に不明な点が多い。新たな史料で初期の宇喜多氏像が浮かび上がり、従来の史料検討もより深まることが期待される」と話している。

(2019年11月13日 08時00分 更新)

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