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この地に生きる(17)能登大次さん(45)=美作市 引きこもりや不登校の若者が暮らすシェアハウスを運営

能登大次さん
能登大次さん
シェアハウスを改装する入居者男性(右)を後ろから見守る能登さん(左)
シェアハウスを改装する入居者男性(右)を後ろから見守る能登さん(左)
 床をカーペットから板に張り替え、壁紙をはがす。1人の男性が部屋を改修していた。引きこもりや不登校など、社会での生きづらさを感じる若者が集まるシェアハウス(美作市田殿)。この男性を含め、18~31歳の男女9人が入居している。

 能登大次(のと・ひろつぐ)さんは責任者として運営に携わり、週2日、寝食を共にして若者たちの社会復帰を支えている。

 「教師時代の自分を思い出すと、若者たちと重なるところがある」

 優しいまなざしで作業を見守る能登さん。その目には、かつて息苦しさを抱えもがいていた自分自身の姿も映っていたに違いない。

 活動の原点は約20年前、高校の教壇に立っていたころにさかのぼる。

 能登さんは仙台市出身。東北大大学院を卒業し、地元の私立高の世界史教員になった。ところが「社会経験が無く、授業以外の本当に大切なことを何も教えてあげられない。無力感にさいなまれた」。朝起きると微熱と頭痛が出るようになった。うつ病に近い状態だった。

 そんな時、趣味のバンド活動でステージのPRチラシを作るうちにデザインの楽しさを知った。2年間で教職に見切りを付け、金沢市とオランダのデザイン専門学校で勉強。シャツや雑貨などを手掛けるプロダクトデザイナーとして東京で生計を立てた。

 「自給自足のような素朴な暮らしに強い憧れがあった」。飽食を象徴するような都会の暮らしに疑問を抱いていた。東京電力福島第1原発事故による子どもの発育への影響も気になり、2011年夏、妻と長女とともに岡山市へ移り住んだ。

 スローライフを楽しめる地を探し求め、県内各地に足を運んだ。棚田でのイベントに参加したことがきっかけで、12年に美作市の地域おこし協力隊員になり、家族ともども移住した。

 「どんな人も自らの力で人生を切り開いていく力を持っている」

 着任後、NPO法人「山村エンタープライズ」を他の協力隊員と設立し、同市梶並地区にシェアハウスを開設した。過疎地を支援したいという思いだけだったが、入居した引きこもりの若者が住民との交流を重ねて社会復帰を果たした光景を目の当たりにし、新たな考えが湧き起こった。

 16年、シェアハウスを現在地に移し、生きづらさを抱える若者を受け入れる施設に特化した。

 共同生活の中で掃除や料理といった役割をこなしてもらい、農作業や祭りへの参加、アルバイトと、少しずつ階段を上ってもらう。入居者が円滑に地域の行事に参加できるよう、住民を訪ねて理解を求めて回っている。

 これまでに約20人が就職や進学などにつながり“卒業”を果たした。うち6人は市内に定着している。卒業生が入居者と一緒に活動し、支援する側に回ってくれることもある。

 「『自分を変えたい』と願う若者の『楽園』に美作をしていくことができたなら。私は彼らをそっと見守っていく」

(2019年11月08日 09時11分 更新)

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