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この地に生きる・序章(中)人口減 若者転出 “18歳の崖”

この地に生きる・序章(中)人口減 若者転出 “18歳の崖”
この地に生きる・序章(中)人口減 若者転出 “18歳の崖”
この地に生きる・序章(中)人口減 若者転出 “18歳の崖”
 本格的な人口減少社会に突入し、地域の在り方は転換期を迎えている。

 美作県民局と山陽新聞津山支社が若者らの活躍を支援する「みま咲く未来プロジェクト」を展開し、活性化を目指している美作地域においても、人口減少は深刻な課題だ。地域は今、どうなっているのか。国勢調査や国立社会保障・人口問題研究所(社人研)のデータなどから現状をチェックする。

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 美作地域10市町村の総人口は約21万人。国勢調査などを基に1980年以降の市町村別人口推移を示したグラフは、一時は上昇した津山市などを含め、程度の差こそあるものの一様に右肩下がりのラインを描く。

 それぞれの自治体で最も人口が多かったのは第1次ベビーブーム(47~49年)後の50年ごろ。2015年の国勢調査では最多の津山市(10万3746人)こそピーク時の9割ほどだが、美作市、鏡野、美咲、久米南町、西粟倉、新庄村は半分以下に落ち込んでいる。

 前回調査(10年)より減った県内23市町村のうち、9・5%減の新庄村は新見市と並び減少率が最大。8・3%減の美作市が、高梁市、吉備中央町とともに続く。また、美咲町は6回、美作市は4回、真庭市は3回連続で減少率が高くなった。

 将来の存続が危ぶまれる「消滅可能性都市」との言葉も生まれた。日本創成会議が出産期の女性の人口動態などを基に14年に公表。エリアでは、美作、真庭市、奈義、美咲町、西粟倉、新庄村が含まれた。

 “消滅”までではなくとも、社人研の将来推計では、45年の人口は15年の87・3%(勝央町)~53・6%(美作市)となる。圏域の合計は3割減少するとされている。

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 死亡数が出生数を上回る「自然減」と、転入者より転出者が多い「社会減」の美作地域全体の状況を表したグラフからは、ここ10年、少子高齢化が進み、自然減のボリュームが膨らんでいるのが分かる。人口そのものが減った上、社会減は目立った改善がみられず、県南や県外へ流出が続く。

 社会減の大きな要因は、若者たちの転出だ。動きの少ない年代を除き、00年から15年までの5歳ごとの人口変動を、国勢調査に沿って5年ごとにグラフで表してみた。15~19歳が20~24歳になった場合をみると、最大で久米南町の人口に迫る4500人近くが転出している計算。大学進学や就職で地元を離れる“18歳の崖”といわれる現象がくっきり浮かび上がる。

 20~24歳と25~29歳の比較では、Uターンする若者らが要因とみられる増加があるが、多くて1400人。流出人口の1~3割程度しか回復しておらず、地域を支える力がそがれている。

 岡山大大学院の中村良平特任教授(地域公共政策)は美作地域の自然減について「高齢化は最大限のところまで行き着いており、今後、むしろ影響は縮小する」と分析。「大切なのは、いかに社会減を食い止めるか。若者が戻りたい、入ってきたいと思える地域にする必要がある」としている。

(2019年10月02日 08時56分 更新)

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