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この地に生きる・序章(上)光と影 輝き放つ地 進む空洞化

作州の地で活躍する若手たちのコラージュ。奥は鶴山公園(津山城跡)と中国山地の山並み
作州の地で活躍する若手たちのコラージュ。奥は鶴山公園(津山城跡)と中国山地の山並み
 「新しい世界に挑戦することで、周囲の世界が変わる」

 家業の縫製工場をかっこ悪いとすら思っていたという笏本縫製(津山市桑下)の笏本達宏専務(32)。美容師を志していたある日、初めて仕事を手伝い高い技術力に目を見張った。今、自らが中心となって手掛けた自社ブランドのネクタイは、全国に知れ渡る。

 “孫ターン”したのは農業法人社長の高山真宏さん(35)だ。千葉県出身。祖父母がいた勝央町植月中に暮らし、約1ヘクタールでブドウを育てる。「地域の人や自然とのつながりは都会では得られない魅力。ここでこそ充実した人生が過ごせる」。元商社マンの表情は充実している。

 新庄村が整備した宿泊施設「新庄宿 須貝邸」のシェフは食材の豊かさに魅せられた。三鴨裕太さん(24)は東京のすし店からUターン。昼夜の寒暖差で甘みを増した野菜、清流で育った川魚、ジビエ(狩猟肉)、山菜…。「『おいしい』と言われることが本当にうれしい」ともてなしに生きがいを感じている。

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 作州の地で輝きを放つ若手たち。だが、彼らが暮らす地域は今、人口減少、少子高齢化が急速に進んでいる。

 津山、美作、真庭市、勝央、奈義、鏡野、美咲、久米南町、西粟倉、新庄村の3市5町2村の面積は、県全体4割近くを占める計2743平方キロ。一方、人口は1割をわずかに超える約21万人にすぎない。

 死亡数が出生数を上回る「自然減」と、転出者が転入者を上回る「社会減」。ダブルパンチが急激に活力を奪っている。

 “18歳の崖”。大学へ、あるいは就職で。高校卒業後、一気に若者世代が域外に出て行く現象は特に深刻だ。

 国勢調査によると、1995年に1万7002人いた10~14歳は、10年後に当たる2005年の20~24歳でみると1万561人と実に37・9%も減っている。その10年後となる15年の30~34歳は1万936人。20~24歳時点と比べると3・6%増にはなっている。しかし、10~14歳当時との比較では35・7%減。ほとんどが戻っていない計算になる。

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 「希望の職種で海外も視野に活躍できる場所を探し、東京を選んだ」「刺激のある人、見たい映画、流行の店…。東京ならすぐ得られるものが地元にはない」「一度都会で働くと、給与レベルの低い地方には帰れない」―。作州を離れ、首都圏で働く若者らからは、こんな声も聞かれる。

 県北の拠点都市・津山市でも中心市街地の空洞化が進み、大学の選択肢は周辺を含めても限られる。岡山大大学院の中村良平特任教授(地域公共政策)の調べでは、17年度の納税義務者1人当たりの年間所得は、作州エリアで最も高い津山市で276万2千円。県平均の298万円を下回り、東京の441万4千円には遠く及ばない。生活コストが違うとはいえ、若者らをとどめるのは簡単ではない。

 中村特任教授は「やりたいと思える仕事、楽しいと感じるネットワークがあれば、UIJターンは増え、それが出生数に影響し、人口の自然増にもつながる。若者が求める仕事、身に付けた技術を組み合わせ、地域に競争力、収益力のある産業を生み出すことが重要だ」と指摘する。

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 岡山県美作県民局と山陽新聞津山支社は27日、美作地域10市町村に暮らす若者たちの活躍を支援する「みま咲く未来プロジェクト」をスタートした。本紙作州ワイド版では、故郷の素晴らしさや地域ならではの特色に気付き、それぞれの道を歩む若者たちを紹介する連載企画を展開する。まずは「序章」で、データを交えて地域の現状を紹介する。

(2019年09月28日 11時15分 更新)

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