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原発事故で無罪 市民感覚には厳しい判断

 福島第1原発事故を巡り、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東京電力の勝俣恒久元会長ら旧経営陣3被告に対して、東京地裁が無罪を言い渡した。

 未曽有の事故から8年半がたっても、まだ大勢の人々が避難先から古里に戻れていない。起訴状では、大津波を予見できたのに対策を怠り、長時間の避難を余儀なくされた病院の入院患者ら44人を死亡させるなどしたとされた。

 そうした惨事を招きながら誰一人過失責任がないとした地裁判決に、被災者や遺族の憤りが大きいことは十分に理解できる。強制起訴により企業トップらの責任を追及するハードルの高さが改めて浮き彫りになったと言えよう。

 裁判での主要な争点は、3人が大津波を具体的に予見できたのかどうかと、事故を防ぐことは可能だったのか、という点だった。

 検察官役の指定弁護士は、国の地震予測「長期評価」に基づいて最大15・7メートルの津波が襲来することが、事故の3年前に試算として示されており、「予見はできた」と指摘していた。

 だが3人はいずれも試算の根拠となった長期評価の信頼性を否定し、予見は不可能だったと反論。判決は長期評価について「具体的根拠を示さず、客観的に信頼性があったとは認められない」とその主張に添う判断を示した。

 その上で、事故を回避するために原発を止める義務を課すほどの予見可能性はなかったと結論づけた。従来の司法判断の流れを踏襲するものと言えるだろう。

 大事故を巡っては、JR西日本の尼崎脱線事故でも業務上過失致死傷罪で強制起訴された歴代3社長が無罪となるなど、市民感覚に基づいた刑事責任の追及には厳しい結果が続いている。

 結果の重大性だけでは過失責任は問えず、個人の有罪立証には相応の厳密さが求められるのは仕方がない。一方、避難者が国や東電に損害賠償を求めた集団訴訟は各地で約30件起こされており、「大津波は予見でき、対策を取れば事故は回避できた」として東電の過失を認める判決も出ている。

 刑事と民事の違いはあるとはいえ、「事故の責任が問われないのはおかしい」との被災者らの不信感は当然だろう。企業など法人を罰するための「組織罰」導入も早急に検討すべきではないか。

 強制起訴制度の限界を示す判決ではあるが、公開の法廷で元経営陣らに関するやりとりが明らかになったことの意義を指摘する声はある。過酷事故に至った経緯は、これまで政府や国会などの事故調査委員会が検証してきたが、十分とは言えないからだ。

 国や電力会社挙げて、原発の「安全神話」にあぐらをかいてきたことが事故につながったのは確かである。事故原因の徹底究明は引き続き求められよう。

(2019年09月20日 08時00分 更新)

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