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岡山城下最大火災の痕跡を初確認 千日前地区 廃棄穴群から瓦や陶器

大村火事に伴うとみられる廃棄穴の一部。発掘区の壁面に焼けた大量の瓦がのぞく
大村火事に伴うとみられる廃棄穴の一部。発掘区の壁面に焼けた大量の瓦がのぞく
大量に積み重なった焼けた瓦片
大量に積み重なった焼けた瓦片
岡山城下最大火災の痕跡を初確認 千日前地区 廃棄穴群から瓦や陶器
 江戸期に起きた岡山城下最大の火災「大村(おおむら)火事」(1708年)で焼けた瓦礫(がれき)を埋めたとみられる廃棄穴群が10日までに、岡山市教委が発掘調査する千日前地区(同市北区表町)で出土した。武家屋敷や町家など千戸以上が焼失したと文献で伝わるが、痕跡が見つかったのは初めて。長径10メートル以上、深さ約2メートルの巨大な穴もあり、関係者は「火災の大きさに加え、復興の過程もうかがえる貴重な成果」としている。

 廃棄穴は岡山城下南部の武家屋敷一帯に広がり、最大径5メートル以上の大規模な穴が3カ所、小規模な穴も4、5カ所で確認された。大火で焼け野原となり、岡山藩主導のもと復旧のために共同で穴を掘って、焼けた瓦や家財道具などを捨てたとみられる。

 それぞれの穴からは、熱によって赤や黄色に変色した瓦に加え、赤く焼けた土壁、すすが付くなどした備前焼のかめや皿といった生活雑器が見つかった。陶磁器類が18世紀前半以前の特徴を持つことや、焼けた瓦の量、文献の記述などから、大村火事に伴う遺構と判断した。

 岡山藩主池田家の通史「池田家履歴略記」などによると、大村火事は同年11月22日正午ごろ、武家屋敷街南西端付近の藩士大村定平宅から出火。西風にあおられて西大寺町(同表町)、橋本町(同京橋町)など東に燃え広がり、ついには小橋町(同市中区小橋町)をはじめ旭川東岸にも飛び火した。

 翌23日早朝まで16時間にわたって燃え続け、家老池田刑部の下屋敷や複数の寺院なども被災。焼失面積は約45ヘクタールに及んだという。記録に残る死者は高齢女性1人とされている。

 岡山城下では大村火事のほか、竹屋火事(1809年、焼失約300戸)、今屋火事(34年、同約70戸)など何度も大火が起きているが、発掘調査で確認された例はほとんどないという。江戸時代の災害史に詳しい倉地克直・岡山大名誉教授は「地方では当時最大規模の火災だったと思われ、住民の苦労も相当だったろう。それでも力を合わせて瓦礫を廃棄し、その上に新しい生活を築こうという、人々の力強さも感じられる」と話している。

 発掘調査は新市民会館を核とした複合施設を整備する再開発事業に伴い、2月から行っている。

(2019年09月11日 08時00分 更新)

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