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スーパースターはある日突然に 渋野日向子プロと石川遼プロの共通点

記者会見でメジャー制覇の喜びや故郷への思いを語る渋野日向子=8月6日、羽田空港
記者会見でメジャー制覇の喜びや故郷への思いを語る渋野日向子=8月6日、羽田空港
 日本の、いや私たちの故郷、岡山出身の20歳の女子プロゴルファーが、42年ぶりとなる全英女子オープンで優勝しました。深夜のテレビ放送を見て、感動して、感謝して、手をたたいて、固唾(かたず)を飲んで、そして歓喜の瞬間に涙して、応援した人は、多いと思います。

 その岡山出身の20歳の女子プロゴルファーとは、渋野日向子プロのことです。もちろんみなさんもうご存じだと思います。スマイリング・シンデレラと海外のメディアにも呼ばれる、誰をも虜(とりこ)にする笑顔が素敵な女性です。

 私は、渋野プロとお会いすることは今までありませんでした。プロ入りしてすでに2勝しているすごいプロなんだなという印象と、たまたま山陽放送で私がラジオ番組を担当しているので、勝手に身近な存在と思っていました。渋野プロは山陽放送所属。私は山陽放送と番組契約。なんとなく会ったことのない親戚筋ぐらいでしょうか。そう勝手に思っていました。

 その、渋野プロに全英から戻って、初の国内戦の会場で立ち話ですが、握手してお話しするチャンスがありました。そう北海道の会場でお会いして、今私は新千歳空港でこの原稿を書いています。

 渋野プロは、「あ〜見たことある〜」と屈託のないあのスマイルで握手をしてくれました。こちらは30年テレビに出ていますが、今や彼女は時の人。私の方が、「感動しました。おめでとう〜」と一瞬にしてファンになったのはいうまでもありません。

 さて、今回のタイトル「スーパースターはある日突然に」です。全英女子を見ていて、まるで石川遼プロが初優勝した時の雰囲気、イメージをテレビ越しに私は感じたのです。石川遼プロの初優勝は、マンシングウェアオープンKSBカップでした。2007年です。当時15歳8カ月、中学を卒業してほんの2ヶ月の少年が、男子プロゴルフの大会に初めて出場して、初優勝しました。当時のギネスで、プロの大会での世界最年少優勝でした。

 渋野プロも、海外の大会に初めて参加したのが、今回優勝した全英女子オープン。日本国内では名前が売れてきていましたが、海外ではほぼ無名の選手でした。その彼女が、初日から素晴らしいプレーをして、笑顔でギャラリーに答える。すぐにスマイルプリンセスと名付けられる。この流れも、石川遼プロが初優勝した時に似ています。

 石川遼プロは、「ハニカミ王子」。渋野日向子プロは「スマイリング・シンデレラ」。どちらも人の表情。ハニカミでも、スマイルでも、笑顔が共通点なんですね。どれだけ笑顔が人の心をつかむのか。改めて、彼女から笑顔の持つ力、大切さを教えてもらったように思います。

 さらに、プレーの内容も、石川プロ、渋野プロには共通点があると思います。これは私個人の見解ですが、勝負にはターニングポイントという大きな節目や分かれ目という、大きな流れがあると思います。渋野プロにとっての全英では12番のPar4です。彼女は多くの選手が2打でグリーンに乗せるところを、ドライバーで1打でグリーンにのせようと、狙ったのです。テレビを見ていた私は、「勝負はまだ早い、2打でのせればいいんだよ〜」とテレビに叫んでいました。

 彼女が打った球は、グリーンの土手に当たって、池ではない、グリーンの方に転がっていったのです。本当に天国か地獄かの境にボールは落ちて、天国の方に転がったのです。「すごすぎる〜」と深夜に大声を出してしまいました。この瞬間に、私は彼女は優勝すると確信したのです。石川プロも、初優勝の時に「遼のゴルフは攻めのゴルフだろ」とキャディーと確認したシーンがありました。木に当たって、OBではなく、フェアウェーに落ちてきた瞬間がありました。そのことを後に、石川プロは、攻めた結果でしたと話しています。

 攻めた結果について、人はどんな結果になっても意外とその決断を悔やむことは少ないのではないでしょうか。逆に、弱気になった時に、少し安全な、逃げるような決断をした時に結果がついてこなかった時に、人は激しく自分を責めるような気がします。さらに、攻める姿勢は、見ている人の心にも強く刺さる気がします。魅了する。そんな力が攻めている人にはあるんですよね。ギャラリーも味方につける。渋野プロの全英、石川プロのKSBカップともにギャラリーが背中を押していました。石川プロは「ギャラリーが味方してくれた、優勝はギャラリーのみなさんのおかげ」と語っていました。全英での渋野プロも私には同じように見えました。海外のギャラリーをも味方につけたのです。

 今回のタイトルを「スーパースターはある日突然に」としました。しかし、実際はどうなのか。中学、高校でもゴルフやソフトボールで素晴らしい経歴を残しています。プロ入りしてからはすでに国内で2勝。プロになって彼女にふさわしい舞台に上がれるようになったからこその結果であり、そのポテンシャルはそもそもかなり前から申し分のないものだったのだと思います。ただ、彼女はスターではなく、スーパースターとして世界に認知されたのがポイントです。それは海外の試合、それもメジャーという舞台を選んだかのような世界デビュー故に、スーパースター、並のスター選手ではないのです。スーパースターには、どこか多くの人が想像できない、まさか、本当に、と言いたくなる驚きと共感をもたらす力があるのです。

 いきなり感、がスーパースターの1つの条件のように思います。苦節うん10年のスターもいますが、スーパースターはやはり、いきなり、それも、想像を超えるステージで、物おじしないで、自分のスタイルでやりきることのできる人なんだと思います。

 この意味で、石川遼プロの15歳8カ月の世界最年少優勝記録も、いきなりでした。多くの人がまさか、本当に、と疑い、驚き、驚嘆し、感動し、彼のスピーチに涙し、共感したのです。

 ゴルフという競技に携わることができて、こんな出会いをもらえることに感謝感謝です。苦節30年の地方アナはスーパースターにはなれませんでしたが、スーパースター誕生の近くにいることができる、それも人の持つ運なのでしょうが、なんとも味わい深い人生です。

 今回ほんの少しの立ち話ですが、渋野プロはしっかりと私の目を見て、握手をしてくれました。とても堂々としていました。スーパースター誕生に日本中が喜びに沸きました。岡山では会う人会う人が私におめでとうと言ってくれます。ゴルフの仕事を長くしていたからなのでしょうが、これほどまでに人々をハッピーにできる人が岡山から出た。素晴らしい笑顔でますます世界をハッピーにしてほしい。そしていつも笑顔でられる渋野プロでいてほしいと、心から思っています。

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多賀 公人(たが・きみと) コミュニケーションコンサルタント。瀬戸内海放送でアナウンサー兼プロデューサーとして28年務めた後、ユイ・コミュニケーション・ラボ(株)を設立。企業・団体を対象に映像を使ったコミュニケーション研修トレーナーや、商品PR・ブランド広報戦略のコンサルタントとして活躍中。現在も瀬戸内海放送や山陽放送でキャスター兼コメンテーターとしてレギュラー多数。プロゴルファー石川遼選手の「ハニカミ王子」の名付け親でもある。1963年玉野市生まれ。

(2019年08月13日 10時13分 更新)

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