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まび日誌―被災記者から「豪雨1年」 命守る策を考えて

総社市の豪雨災害1周年式典で取材する古川和宏記者
総社市の豪雨災害1周年式典で取材する古川和宏記者
 1年前の今ごろ、どう過ごしていただろうか。

 「あの日」が近づくにつれ、思い返すことが多くなった。

 リビングから見える風景、日々緑が濃さを増す田んぼ。「行ってきます」と玄関を出て行く子どもたちの姿も、箸立てやしょうゆ差しなどの小物が載る食卓も…。2階まで浸水した倉敷市真備町地区の自宅での、何げない日常が頭の中を巡る。

 もしあの時、「7月6日に災害が起こる」と分かっていたら。どうにもならない過去とはいえ、できたことがあったのでは、との後悔は尽きない。

 西日本豪雨から1年がたとうとしている。観測史上最も遅く梅雨入りした今年も、心穏やかではいられない。小田川や高馬川など、決壊したり、のり面が崩れたりした堤防の修復は完了したものの、根本的な強化工事などはこれからだ。雨が降り続くと、抑え込んでいた不安な気持ちがあふれ出る。

 被災後は職場のある総社市に仮住まいし、家族は岡山市内の妻の実家で暮らしている。2人の娘は毎日、自転車と電車、スクールバスを乗り継いで真備町地区の中学校へ通学している。自宅ならわずかな距離なのに、片道約1時間20分。それでも「もう慣れたから」とたくましい。

 妻の実家周辺も、豪雨で浸水被害を受けた。あの日、自宅2階から救助された後、高台に置いていた車に乗り、一家4人でそこに向かった。

 道すがら、目を疑う光景に次々と遭遇した。至る所で土砂崩れや浸水が起き、車は渋滞。実家周辺も泥水に覆われて孤立しており、結局たどり着けなかった。

 被害は真備だけではなかった。

 豪雨の後、被災体験を伝える機会を何度かいただいた。取材帰りにたまたま堤防の決壊を知ったこと、近くに住む両親を助けに向かったこと、娘が用意していた避難グッズが役立ったこと、そして明治時代、同じような堤防決壊で多くの住宅が流された歴史があったこと。

 あの日の災害は、真備以外で起きても不思議ではなかった。「もし自分の住んでいる地域だったら」と仮定し、命を守る策を考えてほしい、そんな願いを込めながら話した。

 真備では51人もの命が犠牲となった。「命を守る行動」とは何か。自分自身、そして大切な家族を守るために何ができるか。

 それぞれが住む地域で、かつてどんな災害が起きたのかを知り、起こりうる被害をより具体的にイメージする。生き残るためにはどうすればよいかを、行動計画として家族や地域で共有しておく―。

 災害は必ず発生する。しかし、犠牲者を出さないよう、被害を最小限に食い止める方法はある。

 1年の節目を迎え、次なる災害に備える大切さをあらためて肝に銘じている。二度と後悔しないために。

(2019年07月05日 09時52分 更新)

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