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仏像背負う奇祭「ヤセゴゼ」とは 美作市の小さな集落に伝わる行事

仏像を背負い、薬師堂の周囲を3周する参拝客=12日
仏像を背負い、薬師堂の周囲を3周する参拝客=12日
「ヤセゴゼ」で参拝者が背負う仏像。年季が入ってすべすべになっている
「ヤセゴゼ」で参拝者が背負う仏像。年季が入ってすべすべになっている
仏像背負う奇祭「ヤセゴゼ」とは 美作市の小さな集落に伝わる行事
 仏像を背負ってお堂の周囲を回る“奇祭”が美作市と勝央町境の山中で受け継がれている。その名は「ヤセゴゼ」。どんな祭事だろう。所作、名前を知るにつれ好奇心が募るものの、過去に本紙で紹介した形跡すらない。ひよっとして苦労せずに痩せられるのだろうか…。淡い期待を抱き、12日に催された小さな集落の伝統行事に足を運んだ。

 美作市街地から中国道に沿ってしばらく西へ進み、山道を登って到着した。美作市上相の間山(はしたやま)地区。午前9時すぎ、住民や参拝者が20人ほど集まっていた。

 「(仏像を)背負って右回りに3度回って。しゃべったらだめ。無言で。念じてください。かないますからね」。杉山達詞さん(68)が「ヤセゴゼ」のしきたりを参拝者に優しく教えていた。

 仏像は木造で、高さ30~50センチ程度の6体があった。うち2体は裏に「昭和参年作」(1928年)と墨書されていた。

 参拝者は杉山さんらから仏像1体を受け取って背負い、お堂の周囲を順番に回って無病息災や家内安全などを静かに願っていた。

 

福を授かる



 「ヤセゴゼ」はお釈迦様の生誕を祝う旧暦4月8日の仏生会に合わせて行う。いわゆる花祭り。この日も参拝者に甘茶が振る舞われた。行事を受け継ぎ、接待しているのは間山地区の6戸と市町境で勝央町曽井に入る2戸を含めた計8戸の住民たち。

 お堂は、かつて栄えた高福寺跡に現存する薬師堂。住所では曽井に位置し、寺跡は町史跡に指定されている。

 「ヤセゴゼ」は江戸時代の美作地方の地誌・東作誌に「痩御前」と記述されている。「県史 民俗1」(1983年発行)によると、昔は裸で仏像を背負った。周囲の見物客が「おかしいか、ヤセゴゼ」とはやしたてて一斉に笑う。背負った者は「眠たいがこうじて、おかしゅうもござらん」と応じる。眠気よけとも、笑わなければ福を授かるとも言われていたようだ。

 「美作町史 地区誌編」(2004年発行)では昭和初期までは露店が並んでにぎわったと記録している。間山地区の男性(67)は「戦後になっても私が小学生の時、学校が終わってからお参りに訪れると、地域の年配の人らであふれていた」と振り返る。

 

厚い信仰心



 仏像は長年にわたって多くの人の手に触れて、すべすべ。先人たちが重ねた厚い信仰心を感じさせる。

 神社のみこしは神を載せて楽しませる意味合いがあるというが、「ヤセゴゼ」はなぜ背負うのだろうか。笑わなければ福を授かるのはなぜか。ダイエット効果がないことだけは分かったが、いろいろと疑問は消えない。

 人口減、高齢化が進む間山地区。「先人から受け継いだ貴重な行事。これからも何とか続けていきたい」と男性(64)。細々でも守るという住民の思いに触れ、来年もお参りに訪れたいと思った。

 高福寺 美作町史や勝央町誌によると、聖徳太子によって用明天皇の勅願所として創建。奈良時代の僧・行基が金堂などを建立、仏像を安置したとされる。平安時代に数々の僧院が立ち並んで最盛期を迎えたが、戦国時代に焼失したという。会陽で知られる安養寺(美作市林野)は高福寺のあった間山をルーツとする寺の一つ。高福寺跡には体を清める水垢離(ごり)場が今も残り、安養寺会陽の起源という説もある。

(2019年05月22日 20時11分 更新)

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