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(62)水島臨海鉄道(倉敷市) 工業地帯、地域と歩む

工場群や水島港に近い終点へと向かう水島臨海鉄道の列車
工場群や水島港に近い終点へと向かう水島臨海鉄道の列車
岡野弘さん
岡野弘さん
(62)水島臨海鉄道(倉敷市) 工業地帯、地域と歩む
 時速40キロほどで緩やかに進む列車に揺られ、倉敷市中心部から水島方面へ。車窓からの光景は住宅街や特産のゴボウ畑などから、コンビナートの工場群、港に停泊する船へと移る。

 水島臨海鉄道の倉敷市駅と三菱自工前駅を結ぶ旅客区間は、距離にして10・4キロ。わずか25分の“小旅行”は、レトロな車両でのんびり気分に浸っているうちに終点を迎えた。

 同市西富井の会社員正清雄也さん(34)は「臨鉄」ファン歴約20年。「沿線の風景を入れて列車を撮るのが好き。季節によって景色が変わるので飽きがきませんね」と魅力を語る。

 1950年代まで走っていた蒸気機関車(SL)の小型の警笛音から、臨鉄は「ピーポー」の愛称で親しまれてきた。水島駅で切符切りなどの駅務係を務めていた岡野弘さんは「警笛は発車時や踏切前で鳴らしており、どこか愛着が湧くかわいらしい音だった。自分にとって郷愁を誘われる愛称」と懐かしむ。

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 臨鉄の起源は戦中までさかのぼる。43年に三菱重工水島航空機製作所(現三菱自動車水島製作所)の従業員を輸送する専用鉄道として、倉敷―水島間で開通。倉敷市交通局運営の市営鉄道時代を経て、70年4月に第三セクターとしてスタートして以降、工業地帯などの旅客、物資の輸送を担ってきた。

 倉敷市駅の移転や栄、浦田駅などの増設に伴い、旅客利用者数は80年から右肩上がりで伸びた。水島地区での高架化事業を終えた後の93年には、年間約244万人とピークを迎えた。岡野さんは「通勤、通学時間帯はいつも超満員。水島駅付近の繁華街もにぎわっており、ひっきりなしに客が乗り降りしていた」と振り返る。

 その後のモータリゼーションの波で旅客利用者数は減少に転じ、現在は年間179万人ほど(2017年)。貨物輸送のためコンビナートの各事業所が引き込んでいた路線は、13年までに軒並み利用が中止された。3月16日のダイヤ改正でも3往復分が減便されるなど、厳しい経営状況が続いている。

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 時代の変化にさらされながら、臨鉄は水島地域のまちづくり関係者らと歩調を合わせ、活路を見いだそうとしている。

 17年には、沿線の観光施設やお薦め店を紹介した「りんてつ沿線手帖(てちょう)」が刊行された。大学生や高校生らと協力し、倉敷商工会議所青年部がまとめた労作で、臨鉄の利用促進も狙う。

 高架下を公共空間として活用した飲食イベント「臨鉄ガーデン」が始まったのもこの年。商店街の活性化を目指す住民グループに協力し、にぎわい創出を図っている。

 来年4月に開業50周年を迎える臨鉄は、沿線の商店とのコラボ商品の開発や特別臨時列車の運行といった企画を構想している。

 「幾多の時代を乗り越え、今なお愛される倉敷の宝。新しい時代に合わせ、地域とともに走り続けてほしい」

 水島駅からゆっくりと発車した「ピーポー」を、岡野さんはしばらく目で追っていた。

【推薦者】水島の未来を考える会名誉顧問 岡野弘さん(87)=倉敷市中畝

 木造の客車がぎしぎしと揺れる蒸気機関車や、にぎわう水島商店街から押し寄せる乗客の波などが懐かしく思い出される。当時の面影はなくなったが、市民の足を支える「ピーポー」として親しまれる姿は今も昔も変わらない。長い歴史を経て今日まで運行し続けていることを誇らしく思う。

【メモ】

 水島臨海鉄道では季節に応じて特別列車を運行している。2月下旬~3月上旬の「雛(ひな)列車」をはじめ、七夕やハロウィーン、クリスマスに合わせ、車内やヘッドマークを飾り付ける。鉄道の日(10月14日)には、引退車両キハ20への乗車体験なども。問い合わせは同鉄道(086―446―0931)。

(2019年03月15日 09時58分 更新)

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