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吉備津神社(きびつじんじゃ)

荘厳な雰囲気の拝殿(国宝)
荘厳な雰囲気の拝殿(国宝)
吉備津神社(きびつじんじゃ)
秋季大祭の千載楽
秋季大祭の千載楽
本殿(国宝)及び拝殿
本殿(国宝)及び拝殿
力強く伸びる廻廊(県指定重要文化財)
力強く伸びる廻廊(県指定重要文化財)
御竃殿(国指定重要文化財)
御竃殿(国指定重要文化財)
「鳴釜神事」の様子
「鳴釜神事」の様子
正月3日の「矢立神事」
正月3日の「矢立神事」
七十五膳据神事
七十五膳据神事
巫女舞(豊栄の舞)
巫女舞(豊栄の舞)
十二単及び束帯の着付け
十二単及び束帯の着付け
えびす祭
えびす祭
朱壇(本殿内部)
朱壇(本殿内部)
神話と古代ロマンが息づく心身を癒やす清遊の杜<歴史>大吉備津彦命を主神に一族の神々を祀る 吉備津神社は岡山市西部、吉備の中山の西麓に鎮座する山陽道屈指の大社。大吉備津彦命を主祭神とし、その一族の神々を祀っている。 大吉備津彦命は、第七代孝霊天皇の皇子にあたり、日本書紀によると、第10代崇神天皇の時代、朝廷に従わず各地で反乱を起こしていた賊徒の平定のために大和朝廷から派遣された四道将軍のうちの一人。西道(のちの山陽道)に入った大吉備津彦命は、この地に平和と秩序を築くべく茅葺宮をつくり住居し、吉備国(備前・備中・備後・美作)の人々のために仁政を行ったとされる。 同神社の創建の起源については諸説あるが、一説には、第16代仁徳天皇が吉備国に行幸した際に大吉備津彦命の霊夢により、茅葺宮跡に社殿を創建し祀ったのが始まりといわれている。 その後、『延喜式』の中では「名神大社」に列し、神階の最高位である「一品」の品位を授けられたことから、「一品吉備津宮」また吉備国総鎮守「三備(備前・備中・備後)の一宮」と称せられる。戦前は、官幣中社の社格をもち、広く朝野の信仰を集めている。 吉備津神社の鎮座する吉備の中山一帯には、大吉備津彦命を祀った前方後円墳の御陵など、古代吉備文化の足跡をたどる史跡や古墳が点在している。<見どころ>国宝の本殿・拝殿と総長約400メートルの廻廊 県指定郷土記念物にもなっている美しい松並木の参道を抜けて石段を上ると、日本屈指の神社建築として知られる国宝の本殿・拝殿が姿を現す。少なくとも過去2回の火事に遭っているが、現在の本殿は勅命を受けた足利義満により、25年の歳月をかけて1425(応永32)年に再建されたもの。京都の八坂神社に次ぐ大きさで出雲大社の約2倍以上の広さを誇る。入母屋造の屋根を前後に並べ、棟と棟に縦一棟を通してつなぎ一つの大きな屋根にまとめた独創的な様式は「比翼入母屋造」といわれ、全国唯一であることから「吉備津造」とも称される。そのほか、国の重要文化財に指定されている南・北随神門や、中世の台所の様式を色濃く残す御竃殿など、見応えのある建造物が配置されている。 本殿から続く総延長約400メートルの美しい廻廊も同神社の見どころの一つ。地形のままに真っすぐに伸び、えびす宮、御竃殿、本宮社など多くの摂社末社をつないでいる。<伝承>鬼退治伝説と鳴釜神事の起こり 吉備津神社には、昔話「桃太郎」のルーツともいわれる有名な鬼退治の伝承が残る。諸説あるものの、そのあらすじは以下のようなものだ。 第10代崇神天皇の頃、異国の鬼神が吉備国(現在の岡山県と広島県東部)に渡来してきた。百済の王子で名を「温羅」といい、吉備国の新山(総社市)に居城を構えた。温羅は極めて凶暴で、しばしば悪事を働き人々を困らせたことから、朝廷は吉備の平定に向け、武勇の誉れの高い皇子・五十狭芹彦命(大吉備津彦命、以下ミコトと表記)を派遣した。ミコトは「吉備の中山」(このふもとに同神社がある)に布陣し攻め入ったが、変幻自在な温羅に苦戦を強いられる。矢を射るもいつも温羅の射た矢に落とされるため、ミコトは2本の矢を同時に放ったところ、1本の矢が温羅の左目を射抜いた。血を流した温羅は雉となって逃げ、ミコトは鷹となって追い、さらに温羅が鯉に変じて逃れるとミコトは鵜となって噛み付きついには捕えた。ミコトは温羅の首をはねてさらしたが温羅はうなり声をあげ続け、その首を吉備津神社の「御竃殿」の釜の下に埋めたところ、13年間うなり声は止まず近郷に鳴り響いた。ある夜ミコトの夢に温羅があらわれ「わが妻・阿曽女に御竃殿の火を炊かせば、この釜を鳴らし吉凶を占おう」と告げた。 これが上田秋成の『雨月物語』にも登場し、いまでも同神社の「御竃殿」で行われている「鳴釜神事」(釜うらない)である。参拝者の祈願成就を占う実際の神事では、二人の巫女(阿曽女)のうち一人がかまどを炊き、もう一人が釜の背後に立って古来より伝わる作法を行う。釜が大きく豊かに鳴れば吉、音が途切れたり鳴らない時は凶とされる。 2018(平成30)年5月には、「『桃太郎伝説』の生まれたまちおかやま~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~」が日本遺産に認定された。27の構成文化財の内、御竃殿や鳴釜神事など同神社に由来するものが多い。吉備の中山を含めると、実に8件にも及ぶ。<史跡と神事>矢立の神事と七十五膳据神事 ほかにも、ミコトと温羅が戦いを繰り広げた由縁の場所は今も吉備津神社周辺に数多く残り、古代のミステリーロマンとして歴史ファンを魅了している。 神社の北西には温羅の居城跡として有名な「鬼ノ城」をはじめ、石楯を立て防戦したといわれる「楯築遺跡」や、二人の放つ矢がぶつかって落ちた場所といわれる「矢喰宮」、温羅の血が流れた「血吸川」、鯉に変身した温羅と鵜に変身したミコトが攻防を繰り広げた「鯉喰神社」などがある。また、吉備津神社の境内には、ミコトが温羅との戦いで矢を置いた場所である「矢置岩」が残っており、正月3日には「矢置岩」のそばから神矢を射て災いを祓う「矢立神事」が行われる。その年の安寧を祈る年中行事の一つとして、初詣の参拝者の目を楽しませている。 そのほか、全国的にも珍しい神事として「七十五膳据神事」がある。春秋二季の大祭で行われる神事で、春は五穀豊穣を祈念し、秋は収穫への感謝を捧げる。御供殿に世話人十数人が集まり、数多くの神宝や神膳が用意される。膳の上に春は白米、秋に玄米を蒸してつくる円筒形の御盛相を中心に置き、その周りに鯛や時節の珍味を盛り、柳の箸を添える。先導祭員に続き、衣装をまとい神宝や神膳を捧げ持った奉仕者百数十人の長い行列は、多数の奉拝者の見守る中、粛々と廻廊を拝殿へ進み、伝供役から祭員へ伝供され、本殿内へ献供される。 春や秋の大祭では神賑行事として、小学生高学年から中学生ら子供舞姫による「浦安の舞」や「豊栄の舞」の奉奏、衣紋道高倉流岡山道場による十二単及び束帯の着付け、創作舞の奉納などが行われ、日本の伝統文化の継承にも寄与している。<ご利益>健康長寿や学業成就の守り神として知られる ご祭神の大吉備津彦命は二百八十一歳の長寿を全うしたと伝えられ、そのため古くから「健康長寿」の信仰があつい。そのほか、「学業成就」「交通安全」「建設工事安全」などのご利益でも知られる。また、「年祝い」(安産、初宮詣、誕生祝い、七五三詣、成人式、結婚式、厄祓、長寿祝いなど)の参拝も多い。さらに昔話の「桃太郎」に例えられる通り生成育児の守護神であり、「知恵」「学業」の守り神として信仰されている。 正月9日、10日、11日には、恵比寿・大黒二神を祀る「えびす宮」で、熊手・箕・宝船などの縁起物を授与する「えびす祭」が行われ、商売繁盛を願う参拝者でにぎわう。 また、同神社には江戸時代から続く「吉備津こまいぬ」という愛らしいお守りがある。座った犬と立った犬、鳥の3体が一つになった素朴な土細工で、火難・盗難除けとして人気がある。最近では、有田焼の可愛らしい「桃懐御守」も人気を博している。おみくじ付で平穏無事と開運招福のご利益があるという。ご案内住所/〒701-1341 岡山市北区吉備津931TEL/086-287-4111交通/岡山自動車道・岡山総社ICから車で15分。JR桃太郎線・吉備津駅から徒歩15分HPアドレス/http://kibitujinja.com/ご祭神/大吉備津彦命 ほか創建/不明ご利益等/健康長寿、学業成就、商売繁盛、交通安全 ほか代表的宝物/本殿・拝殿(国宝)、南随神門・北随神門・御竃殿・木造狛犬( 国指定重要文化財)、廻廊(県指定重要文化財) ほか年間行事毎月1日(1月を除く)/ついたち参り(午前6~8時)毎月1日/月旦祭毎月13日/月次祭1月1日/歳旦祭1月3日/矢立神事1月9・10・11日/えびす祭5月、10月(第2日曜日)/春季、秋季大祭(七十五膳据神事)6月30日、12月31日/大祓式7月31日/夏越祭・宮内踊り11月中/七五三詣12月28日/御煤拂神事
【ここも! 見どころ発見】北随神門 1542(天文11)年に再建されたものといわれる。大吉備津彦命に従い吉備国の平定に活躍した神々を祀っており、南随神門と共に国の重要文化財に指定されている。現在、保存修理工事中。2019(令和元)年12月完成予定であり、秋には公開見学を実施予定だ。

(2019年06月21日 06時25分 更新)

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