明治の思想家、福沢諭吉は自身の…
明治の思想家、福沢諭吉は自身の偶像化を嫌い、生前に作られた肖像彫刻は1体しかないそうだ。維新後、官職に就かず、位階勲等も受けなかったこの人らしいエピソードである▼津山洋学資料館で開催中の企画展「文明開化と明六社」の説明にあった。「天は人の上に人を造らず」で始まる「学問のすゝめ」初編も展示している。10冊程度しか残っていないという初版本の一つだ▼企画展は津山市、島根県津和野町、福沢の出身地の大分県中津市でつくる「三津(さんしん)同盟」の取り組みである。優れた蘭学者や洋学者を輩出した縁で連携しており、今回は日本最初の学術団体「明六社」の設立メンバーとなった5人にスポットを当てた▼津山からは箕作秋坪(みつくり・しゅうへい)、箕作麟祥(あきよし)、津田真道(まみち)の3人だ。秋坪は東京に英学塾「三叉学舎(さんさがくしゃ)」を開き、首相となる原敬らを育てた。麟祥はフランス法典を日本に紹介した法学者で「権利」「不動産」などの用語を考案した▼津田も法学者であり、著書「泰西国法論」は憲法や行政法学の解説書として広く読まれた。津和野町からは津田と一緒にオランダ留学し「哲学」という訳語を考えた西周(あまね)である▼津山での開催は24日まで。30日からは津和野、11月中旬からは中津に会場を移す。洋学の町として日本の近代化を支えた3市町。自治体の枠を超え、先人への理解を深めたい。
(2023年09月17日 08時00分 更新)