山陽新聞デジタル|さんデジ

井原に渋沢栄一の直筆漢詩 興譲館高初代館長の死悼む

阪谷朗廬の死を悼んで渋沢栄一がしたためた漢詩
阪谷朗廬の死を悼んで渋沢栄一がしたためた漢詩
 「資本主義の父」と呼ばれ、NHKの大河ドラマで注目が集まる実業家・渋沢栄一(1840~1931年)が、興譲館高(井原市西江原町)初代館長の漢学者・阪谷朗廬(ろうろ、1822~81年)の死を悼んだ直筆の漢詩が、同高に保管されていることが分かった。栄一が幕末、備中国を治めていた一橋家の家臣として井原に滞在したのをきっかけに、朗廬と親交を深めた史実はあるが、それを裏付ける資料は少なく貴重という。

 井原市史に詳しい大島千鶴・倉敷市歴史資料整備室専門員が、興譲館の書庫で資料の整理中に確認した。大島専門員によると、朗廬の十三回忌に当たる93年に書かれたとみられる。

 七言絶句で、第一句の「山光水色総関情」は、遠征先の夫を思う妻の心情を詠んだ中国・唐の詩人李白の詩を一部引用しており、「海外に目を向け、進むべき道を示してくれた学者を失った寂しさを表している」と大島専門員。第四句「階前只聴読書声」は興譲館講堂の庭先に書を読む声が響く情景を回想している。

 栄一の次女・琴子と、大蔵大臣などを務めた朗廬の四男・芳郎は88年に結婚。十三回忌は両家が縁戚となり初の節目だった。学校運営の中枢を担うなど興譲館との結び付きが強かった芳郎を通じて贈られたとみられる。

 大島専門員によると、両氏の交流について、78年に栄一が飛鳥山(東京)に建てた別荘を、朗廬が「曖依村(あいいそん)荘」と名付けたエピソードなどが記録されているが、親しく交流した形跡は多くないという。大島専門員は「朗廬の存在が死後も栄一にとって大きかったことがうかがえる」と話している。

(2021年12月26日 06時06分 更新)

あなたにおすすめ

ページトップへ