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敗戦国だった日本の主権回復を認…

 敗戦国だった日本の主権回復を認めたサンフランシスコ平和条約の署名から今月で70年。調印にも随行したのが、吉田茂首相の懐刀とされた実業家の白洲次郎である▼連合国軍総司令部(GHQ)との折衝を担い「従順ならざる唯一の日本人」といわれた。その遺言はよく知られる。「葬式無用 戒名不用」。妻で随筆家の正子さんの著書「ほんもの」によると、虚礼を嫌ったため、遺族だけで酒盛りをした。今日の家族葬を連想させる▼こぢんまりとしたお見送りだったとしても、残された人は思い煩う。父母に不孝を、友には音信不通をわびる。さまざまな思いで秋分の日のきょう、手を合わせる人は多いに違いない▼先日訪れた霊園では「密」を避けてか、1人で参る人が少なくなかった。新型コロナウイルス禍で命のはかなさを痛感した昨今、墓前の報告は自然と長くなろう▼白洲の葬式の代わりに、友人が後に「しのぶ会」を開き私家版の伝記を出した。出版社の目に留まって、版を重ねるうちに活躍が改めて注目された▼「快男児」などと持ち上げられ、正子さんは「まあ、カッコはいいでしょうよ、見た目はね」と記している。その一方で菩提(ぼだい)寺に加え、家の一隅に小さな墓を建て、1998年に亡くなるまで10年余り供養した。そんな場まで無用と言われたわけではなかったようだ。

(2021年09月23日 08時00分 更新)

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