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1キロ321.5メートルの築堤

田植えが終わった頃の築堤を行く735Dレ=吉備線足守・服部間、2018年6月12日
田植えが終わった頃の築堤を行く735Dレ=吉備線足守・服部間、2018年6月12日
足守駅から砂川橋梁までの築堤区間=5万分の1地形図「金川」(部分)、大日本帝国陸地測量部、1901(明治34)年6月24日 に加筆
足守駅から砂川橋梁までの築堤区間=5万分の1地形図「金川」(部分)、大日本帝国陸地測量部、1901(明治34)年6月24日 に加筆
夏の築堤を行く738Dレ=2018年7月28日
夏の築堤を行く738Dレ=2018年7月28日
花崗岩で造られた第八避溢橋の橋脚と橋台。橋脚は北側に水切りを持った片尖頭型=2012年7月28日
花崗岩で造られた第八避溢橋の橋脚と橋台。橋脚は北側に水切りを持った片尖頭型=2012年7月28日
血吸川西踏切から見た足守駅側と755Dレを迎える線路=2019年8月18日
血吸川西踏切から見た足守駅側と755Dレを迎える線路=2019年8月18日
第八避溢橋を越えて血吸川橋梁に近づく755Dレ=2021年7月5日
第八避溢橋を越えて血吸川橋梁に近づく755Dレ=2021年7月5日
小西伸彦さん
小西伸彦さん
 足守駅を出た吉備線の下り列車は、高さ約3メートルの築堤の上を走る。足守駅構内の下土田川開渠(かいきょ)から血吸川(ちすいがわ)橋梁まで569.3メートル、さらに砂川橋梁まで752.2メートルの総延長1キロ321.5メートルを、中国鉄道主任技術者・小川菊治は、大きなアップダウンを避け、築堤区間としたのだ。

 足守駅から血吸川橋梁の間では、用水川橋梁東詰までのおよそ220メートルは平坦だが、用水川橋梁東詰から第七避溢橋(ひいつきょう)西詰までの約120メートルは10パーミル(※)で下り、第7避溢橋西詰から血吸川橋梁までの226メートル余りは9.1パーミルで上る。この間に架けられた下土田川開渠、用水川橋梁、第七避溢橋、第八避溢橋、第九避溢橋は、築堤が分断する人道と水路を通すための鉄橋だ。血吸川橋梁から砂川橋梁へは7.1パーミルと9.1パーミルで下りながら、第一〇避溢橋、第一一避溢橋、第四陸橋、笠尾川橋梁、第一二避溢橋をわたる。

 吉備線の前身となる中国鉄道岡山・湛井(たたい)間が開業した1904(明治37)年ごろ、築堤の周りは田んぼだった。そこを横切る築堤の橋台は布積み花崗岩(かこうがん)。2径間の第七避溢橋と第八避溢橋の橋脚は鋭い水切りを持つ片尖頭(かたせんとう)型で、その姿には威圧感さえ覚える。

 のどかな水田の築堤に、なぜ重厚な橋脚が必要だったのだろう。鉄橋を見上げるたびにそう思っていたが、どうやらそれは、過去の水害を教訓にしたものだと考えるようになった。明治時代に岡山県を襲った水害の中でも、台風による1892(明治25)年7月と1893年10月の被害は特に深刻で、足守川沿岸も例外ではなかった。砂川の西側に、石垣の上に建てられた家があるのはそのためで、小川菊治が1キロを越える築堤を造らせた理由の第一は水害対策、第二は坂道を造らない、だったのではないだろうか。山陽鉄道の初代社長・中上川彦次郎(なかみがわ・ひこじろう)には、坂道に弱い蒸気機関車のことを考え、10パーミルを超える勾配を許さなかったという有名な話がある。小川も中上川と同じことを考えたに違いない。

 血吸川西踏切から足守駅側の築堤をのぞむ。線路は真っすぐのようで真っ直ぐではない。吉備線の開業から123年。周りの景色は変わっても、築堤や線路の姿はそんなに変わっていないと思う。エンジン音とジョイント音を響かせながら、右に左に揺れながら近づいてくるキハを見ていると、123年前に行ってみたくなる。

 モノクロ映画の世界だ。刈田の中に、完成したばかりの築堤の土肌が続いている。そこをやって来るのはイギリス生まれの蒸気機関車。木造の客車と貨車を従え、煙をたなびかせ、ドラフト音を加速させながら走ってくる。しかしその足取りはキハの数分の一。血吸川橋梁を越えると、右に大きくカーブして緩やかに下り、ピーという汽笛を残して砂川橋梁西の山ひだに消える。ドラえもんにお願いしたら連れて行ってくれるだろうか。

※10パーミル=10‰、10/1,000。1,000メートル進む間に10メートル上るか下る勾配

     ◇

小西伸彦(こにし・のぶひこ) 専門は産業考古学と鉄道史学。「還暦を過ぎても産業遺産、特に鉄道と鉱山の遺産を見て喜ぶ、よく言えば研究鉄、ふつうに言えばただのもの好き」とは本人の弁。就実大学人文科学部総合歴史学科特任教授、鉄道記念物評価選定委員、倉敷市文化財保護審議会委員、新修津山市史近現代編執筆者、産業遺産学会理事長。著書に「鉄道遺産を歩く 岡山の国有鉄道」「みまさか鉄道ものがたり」(ともに吉備人出版)など。1958年総社市生まれ。香川大経済学部卒。

(2021年09月15日 09時55分 更新)

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