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宇喜多秀家の新書状発見 高梁市教委 13歳で家臣団掌握示す

宇喜多秀家が芦田重家に宛てた書状の一部
宇喜多秀家が芦田重家に宛てた書状の一部
 高梁市教委は10日、岡山ゆかりの戦国武将宇喜多秀家(1572~1655年)の新たな文書が見つかったと発表した。1584(天正12)年5月に、毛利方との戦いで手柄を立てた武士へ送った書状で、「秀家」の署名が残る最も古い史料となる。数え年13歳の秀家が既に家臣団を掌握していたことを示す貴重な史料という。

 市教委によると、書状は備中松山藩士・芦田家の子孫から昨年5月、市歴史美術館(同市原田北町)に寄託された「芦田家関係資料」の一部で、秀家に仕えた戦国時代の祖先・重家に宛てたもの。

 本能寺の変(82年)後、羽柴秀吉と毛利氏の和睦交渉で高梁川以東は宇喜多領となるが、毛利方の岩屋城(津山市)の武将中村頼宗は最後まで抵抗。重家はその戦いで武功を挙げ、秀家は「(中村方の)家来の首を取ったのは結構なこと」などと活躍をたたえている。

 秀家は幼名八郎で、本能寺の変後、秀吉から一字をもらい秀家と名乗った。高梁市教委社会教育課は「毛利との最終決戦に臨んだ宇喜多氏の軍事行動が分かる」と分析。鑑定した県立博物館の横山定総括参事は「若年にもかかわらず家臣団を押さえることができた秀家の力量もうかがえる」と話している。

 同資料からは秀家の父・直家が、対立する浦上宗景の軍勢を妙見山城(久米南町か美咲町)で防いだとして、重家の子・重元に褒美を約束する75年7月の書状なども見つかった。

 文書は9月6日まで同美術館で展示。8月14日の午前10時と午後2時の2回、市教委の担当者が内容を解説する。入館料(大人400円、小中学生200円)が必要。

(2021年08月10日 21時03分 更新)

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