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福山城天守の鉄板 製造地調査開始 鞆の歴史民俗資料館

福山城に張られていたとされる鉄板の厚みなどを調べる研究者ら
福山城に張られていたとされる鉄板の厚みなどを調べる研究者ら
 地元の鍛冶(かじ)について研究を進める福山市鞆の浦歴史民俗資料館(鞆町後地)は24日、福山城(丸之内)天守北側に張られていたとされる鉄板の製造地を突き止める調査をスタートさせた。文献資料から鞆の鍛冶職人が造った可能性があり、同時代の遺物との比較など、職人や研究者を交えて調査を進める。

 この日、同館に集まったのは鞆の鍛冶職人の技術を学んだ船釘制作者ら計9人。福山城鉄板を手に取り、厚みや加工状況などを確認した。参加者からは鋲(びょう)の穴は熱い状態で開けられたものではなく、冷めてから作られたとみられることや鉄板の両端が偶然に折れた割れ方ではないとの指摘もあった。

 調査は9月末までで、鞆で鉄板が造られたことの分かる新資料を探す方針。

 同館によると、徳川家康の記録をまとめた文書「駿府記」の中で、大坂冬の陣(1614年)に先立ち、徳川家が江戸初期に鞆を治めていた戦国武将・福島正則へ備後の鍛冶に鉄盾を造らせたことが記載されている。

 事前調査で、同陣に出陣した津山藩主・森忠政が使ったとされる鉄盾(津山市、徳守神社所蔵)が、福山城の鉄板と類似していることが判明。縦91センチ、横44センチの鉄盾には幅約11・5センチの細長い鉄板5枚が連結され、福山城の鉄板も幅が11・3センチ(推定縦130センチ)と近い。「複数の文献に、鞆で合戦用の鉄盾が造られたとの記述が残ることや築城主・水野勝成も大坂の陣に参戦していたことも“鞆製造地”の推論を補強する材料」と同館。

 調査で得られた成果を基に、同館は福山城の鉄板のレプリカを3~5枚作り、連結させたものを10月15日からの特別展で展示するという。同館の檀上浩二学芸員は「鉄板が鞆で造られた具体的な証拠は今回確認できなかったが、鞆が有力な可能性を秘めている。今後の調査で確認できれば」と話していた。

(2021年06月24日 20時13分 更新)

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