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福山城天守の防御鉄板を発見 専門家「驚きで大変貴重」

福山城に張られていたものと確認された鉄板
福山城に張られていたものと確認された鉄板
明治時代初期の福山城の写真。北面(右手)には鉄板が張られている=福山市提供
明治時代初期の福山城の写真。北面(右手)には鉄板が張られている=福山市提供
 江戸時代前期の福山藩主水野家が築いた福山城(福山市丸之内)の天守北面に張られていたとされる鉄板2枚が見つかったと、福山市が6日発表した。同城は福山空襲(1945年)で焼失し、全国で唯一とされる防御施設は古写真でしか確認できておらず、貴重な発見という。

 市内の男性が、焼失した城の瓦などとともに保管していたものを同市に寄贈した。鉄板は幅7・6センチ、長さ24・3センチ、厚さ1・5~2ミリと、幅11・3センチ、長さ25・4センチ、厚さ2・5~2・8ミリの2枚。穴が数カ所あり、一部でびょうも残る。空襲の熱や経年劣化などで変形が見られる。

 市は明治期の古写真を基に、大きさやびょうの位置などが近似していることなどから、同城に張られていたものと判断した。今後、鉄の成分分析を行い産地や製造年代の特定を目指す。

 福山城は北側に堀がない構造上、敵に攻められやすかったことから天守に鉄板を張ったとされる。水野家の断絶後、城の受け取りに訪れた岡山藩家臣がまとめた古文書(1698年)に、福山城の北面は鉄で覆われ、ほかの三方は白亜だったとの記録が残ることなどから、鉄板は水野藩政から続いたとみられている。

 日本城郭協会の小和田哲男理事長は「福山城の鉄板張りは、大砲の射程距離がのびた江戸期に対応した象徴的な城だ。一部とはいえ鉄板が残っていたのは驚きで大変貴重だ。今後、鉄の成分が解明されていくことを期待したい」と話している。

(2021年04月06日 20時49分 更新)

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