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生誕100年の小説家 藤原審爾 映画での足跡、世良利和さんに聞く

 ふじわら・しんじ 東京生まれ。幼くして備前市の父方の祖母に預けられた。19歳で文学を志して上京。肺結核で現青山学院大を中退して帰郷。「秋津温泉」(1947年)で文壇に認められて再び上京し、52年「罪な女」で直木賞。結核の再発に苦しみながらも純文学から娯楽、社会派小説まで精力的に執筆した。
 ふじわら・しんじ 東京生まれ。幼くして備前市の父方の祖母に預けられた。19歳で文学を志して上京。肺結核で現青山学院大を中退して帰郷。「秋津温泉」(1947年)で文壇に認められて再び上京し、52年「罪な女」で直木賞。結核の再発に苦しみながらも純文学から娯楽、社会派小説まで精力的に執筆した。
岡田茉莉子さん主演で映画化された「秋津温泉」のロケ風景。共演の長門裕之さん(手前)らの演技を大勢の人々が見守った=岡山県鏡野町教委提供
岡田茉莉子さん主演で映画化された「秋津温泉」のロケ風景。共演の長門裕之さん(手前)らの演技を大勢の人々が見守った=岡山県鏡野町教委提供
世良利和さん
世良利和さん
 今年生誕100年を迎えた小説家藤原審爾(1921~84年)は、純文学から娯楽小説まで幅広い作品を残したが、映画化された作品も数多い。映画という視点から見えてくる藤原審爾の世界を岡山市在住の映画史研究家世良利和さんに聞いた。

 ―藤原審爾と映画といえば、同名の出世作(1947年)を岡田茉莉子主演、吉田喜重監督で映画化した「秋津温泉」(62年)が一番有名だ。

 「秋津温泉」は、女優岡田茉莉子の主演100本記念作。モデルとなった奥津の温泉郷(岡山県鏡野町)のほか鶴山公園など津山市でロケが行われ、当時大変な話題になった。成島東一郎のカラー撮影が素晴らしく、観光面に果たした役割は大きい。「よるべなき男の仕事・殺し」も原田芳雄主演、渡辺祐介監督で「反逆の旅」(76年)として映画化され、一部岡山ロケが行われている。藤原と映画の関係は深い。

 日本映画データベースによれば、藤原審爾原作で製作された映画は57本。「宮本武蔵」などで知られる国民的作家吉川英治の207本や「鞍馬天狗」の大佛(おさらぎ)次郎183本、「青い山脈」などの青春もので人気を博した石坂洋次郎の80本などに比べれば少ないかもしれないが、戦後に限れば、石坂が75本、吉川が72本、大佛が67本だから藤原の57本はかなり多いといえる。岡山関連の作家では「砂絵呪縛(じゅばく)」などの土師清二(瀬戸内市出身)が戦前も含めて最多の65本、次に藤原審爾、そして「眠狂四郎」シリーズなどの柴田錬三郎(備前市出身)の47本と続く。

 ―映画化作品の特徴は?

 「秋津温泉」のような純文学から、ハイティーンの青春もの、犯罪、侠客(きょうかく)もの、喜劇といったエンターテインメントまでの幅広さもさることながら、特筆すべきは戦後の日本映画を代表する監督たちが映画にしていることだ。

 今村昌平が重喜劇「果しなき欲望」(58年)、「赤い殺意」(64年)の2本の傑作を手掛け、外交官の令嬢(吉永小百合)とチンピラやくざ(浜田光男)との恋愛を描いた「泥だらけの純情」(63年)は、「狂った果実」(56年)がフランスで高く評価された中平康、「恐喝こそわが人生」(68年)は「仁義なき戦い」シリーズの深作欣二、「馬鹿まるだし」(64年)などは山田洋次。ほかにも喜劇「女」シリーズの森崎東や、マキノ雅弘、加藤泰、山下耕作…とこれほどそうそうたる顔ぶれなのは藤原ぐらいだ。「泥だらけの純情」は77年に山口百恵、三浦友和の主演、富本壮吉監督でリメークされている。

 ―藤原の家には、山田洋次監督や女優の倍賞千恵子、随筆家の江国滋らが出入りし「藤原学校」と呼ばれた。毎月1回、警察署長やハンター、やくざの親分など多彩な人々を講師に招いて話を聞いたといい、作品の多彩さはそこからも生まれているようだ。江国滋は、日の目を見なかった作品も含めて藤原の作品数を約700と試算している

 藤原作品は、分かりやすい文体や言葉遣いで書かれていて、読んでいるうちに引き込まれてしまう。そこには社会や時代の姿がさまざまな形で映し出されており、映画化が多いのはそのためだろう。もっとも、器用すぎてジャンルや題材があまりにも多伎にわたり、評価が分散されているともいえるが。

 ―確かに晩年、本紙朝刊(77年)に掲載された記事で藤原は「ぼくは日本人の大多数にわかる作品を目指してきた」と述べている。

 映画監督で特に関係が深かったのは山田洋次だ。「馬鹿まるだし」は、山田が監督になりたてのころ、プロデューサーから渡された「庭にひともと白木蓮」が原作。藤原ゆかりの備前市とおぼしき瀬戸内沿岸の街にシベリア帰りの男(ハナ肇)が来ていつしか「親分」とまつりあげられる騒動を描く。

 その姉妹編といえる「われらが国のへそまがり」(85年刊徳間文庫、74年の「へそまがり」を改題)の解説に「(「馬鹿…」で)私のつくる作品にひとつの方向が出来たという意味で、私と藤原さんの小説との出逢いは実に運命的だった」と山田は記している。この後ハナ肇主演で「馬鹿」シリーズが生まれるが、主人公の性格などは渥美清が主演した国民的映画「男はつらいよ」シリーズの原型となったと言える。山田はこれも備前が舞台となる「へそまがり」の映画化を藤原から頼まれたことも記している。

 映画の世界でも大きな足跡を残した藤原審爾はもっと顕彰されるべきだ。

(2021年03月31日 14時20分 更新)

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