山陽新聞デジタル|さんデジ

山田方谷4歳の板額発見 公開へ 高梁市教委、秀でた才能示す史料

御前神社で見つかった方谷が4歳の時に書いたとされる額。中央に「国土安全」と書かれ、左下に小さな手形が押してある
御前神社で見つかった方谷が4歳の時に書いたとされる額。中央に「国土安全」と書かれ、左下に小さな手形が押してある
 幕末の備中松山藩で活躍した儒学者山田方谷(1805~77年)が数え年の4歳(満3歳)で書いたとされる板額が御前(おんざき)神社(高梁市宇治町遠原)で見つかり、29日に同市教委が公開した。市教委によると、同様の額は近隣の複数の神社に奉納されており「教育熱心だった両親が、たぐいまれな才能を発揮した方谷をアピールしようとしたのでは」とみている。

 額は縦164センチ、横42・5センチ。中央に「国土安全」と大ぶりな字が墨で書かれ、その下に右から「山田氏」「四才筆」の記述、左下に当時の方谷が押したとされる手形が残る。額の左端に「文化五年戊辰且月吉祥日」(1808年6月)の日付、右端に「当国阿賀郡西方村安五郎謹書」と方谷の出身地・阿賀郡西方村(現在の高梁市中井町西方)と幼名が記されている。

 市教委によると、今月1日、本殿を調査中、棟札とともに見つかった。方谷の父・五郎吉は山田家の再興を願ってわが子に英才教育を施し、方谷は母・梶の指導で4歳で書を習得したとされ、小さな手形とともに「つる」「天下太平」などとしたためた額が、高梁、新見、真庭市の神社に奉納されている。

 御前神社と山田家のつながりや奉納を記録する文献はないが、元県立博物館長の田村啓介・高梁市教委参与は「五郎吉はわが子の才能を広く世間に伝えようとしたのだろう。方谷が幼少から特別な存在だったことを改めて示す史料」と話している。

 額は4月10日~6月21日に市歴史美術館(同市原田北町)で開かれる小企画展「御前神社の神像と歴史」で一般公開する。

(2021年03月29日 20時13分 更新)

あなたにおすすめ

ページトップへ