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1936年に起きた「二・二六事…

 1936年に起きた「二・二六事件」で、クーデターを企てた陸軍青年将校らの凶弾に倒れた閣僚の中に蔵相(現財務相)の高橋是清がいた。国民人気が高く、山陽新報(山陽新聞社の前身)も事件の2日後に「わが財界の救世主」の見出しで追悼記事を掲載した▼首相を務めた後も「国家のために」と平大臣に就いた。あごひげをたくわえた丸顔と、淡々とした生きざまから「達磨(だるま)さん」の名で親しまれたと紹介される。昭和金融恐慌や世界恐慌の混乱を、大胆な金融緩和と積極財政策で乗り切った立役者でもある▼7回も蔵相を務めた高橋だからこそ事件当時の物価高騰をいち早く察知していた。歳出削減に向け、膨張した軍事予算の削減に動いた。不幸にも、それが軍の反感を買ったようだ▼高橋亡き後、増税を嫌う財界と、予算拡大を求める軍の意向に沿い、政府は金融緩和と積極財政策を続けた。もはや悪性のインフレは止められず大戦へと向かう混乱に突入する▼現在、新型コロナウイルスによる経済危機を乗り切るために、日本も含めて世界中が金融緩和と積極財政策を競う。厳しい生活を強いられる人がいる一方で、余剰資金が市場に流れ込み、日本や米国などでは株高基調が続く▼経済政策はさじ加減一つで社会に狂気をも生む。85年前の事件が教訓として教えてくれている。

(2021年02月27日 08時00分 更新)

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