山陽新聞デジタル|さんデジ

この地に生きる3(6)中西啓さん(45)=津山市南方中 若者就農増やし恩返し

中西啓さん
中西啓さん
ブドウ畑でピオーネの出来をチェックする中西さん(右)。畑は就農時からおよそ4倍に広がった
ブドウ畑でピオーネの出来をチェックする中西さん(右)。畑は就農時からおよそ4倍に広がった
 大型タンカーに乗り込み、日本に原油を運んでいた。1年のうち約10カ月は海の上という生活を10年ほど続けた中西さん。ブドウ農家として「地に足をつけた生活」は今年、10年を過ぎた。

 生まれ育ちは大阪府。父に連れられ、たびたび釣りに出掛けた大阪湾で、行き交う船を「かっこいい」と船乗りに憧れた。東京海洋大に進み、1998年、横浜市に本社を置く船舶会社に就職。見渡す限りの海原に大きな自然の力を感じながら働く日々は充実し、2008年には1等航海士となった。

 しかし、当時はプライベートの電話などは原則禁止で、航海中に外部との接触はない。次第に世間との感覚がずれてきていると感じ、転職を考えるようになった。

 選択肢の一つが自営業。その中に農業も含まれていた。

 ■  ■

 両親が倉敷市に移り住んでいたこともあり、09年に船舶会社を退職して津山市に移住した。県の制度を活用し、田中農園(小田中)で1年間研修。社長だった田中唯氏さん(故人)から野菜苗の栽培を教わった。明るい人柄や楽しみながら作業する姿に引かれ、農業への思いを強くした。

 就農で最終的に選んだのは、果物王国・岡山にあって支援が手厚いブドウ。高齢化で栽培をやめていた元農家に畑約25アールを借りて指導を仰ぎ、残っていた木で房作りの方法といったノウハウを培った。

 当時植えたピオーネの苗木が育ち、出荷できるようになったのは5年後。この間は野菜の生産などで収入を得ながら、先輩ブドウ農家らの助言を受け、ひた向きに取り組んだ。

 「初めて自分で育てたブドウを食べたとき、誰のものよりもおいしいと思った」と振り返る。

 ■  ■

 大きな粒をたっぷり実らせたブドウが、みずみずしく輝く。傷んだ実はないか、一つ一つを見つめる視線は真剣だ。

 畑を就農時の4倍近い約90アールに広げ、品種はシャインマスカット、紫苑(しえん)を加えた。前任者の推薦を受け、2年前からJA晴れの国岡山久米ぶどう部会長を任されるまでになった。

 部会には25戸が所属し、計4ヘクタールで、年間60~70トンを出荷。部会の年間売り上げを10年以内に3倍の1億円に伸ばす目標を掲げる。

 生産者の高齢化や後継者不足を踏まえ、地域の若者らを積極的に勧誘し、直近で30代2人の就農につなげた。自身の経験を伝えるため、今年から新規就農の研修受け入れも始める。

 この地に暮らし、生涯のパートナーとも出会った。「久米を他に負けない産地に育てていくことが、僕の使命」と言う中西さん。自分を受け入れてくれた地域への恩返しと思っている。

(2020年11月02日 17時46分 更新)

あなたにおすすめ

ページトップへ