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「悪魔の手毬唄」は岡山弁の宝庫 金田一作品から見た方言使用頻度

磯川警部は『悪魔の手毬唄』の中で初めて岡山弁をしゃべったのです
磯川警部は『悪魔の手毬唄』の中で初めて岡山弁をしゃべったのです
 岡山県内を舞台に金田一耕助が活躍する探偵小説を「岡山もの」と呼びます。その作中人物である岡山人たちは、ちゃんと岡山弁を話しているでしょうか。『本陣殺人事件』から『悪霊島』まで「岡山もの」の長編6作を発表順に概観してみると、面白いことが分かりました。これまで私はどの作品内でも岡山人のセリフは当然に岡山弁で書かれているだろう…と考えていたのですが、なんと作品ごとに岡山弁の出現度がずいぶん異なっているのです。大雑把な印象によることをお断わりしつつ「岡山弁の使われ方」という観点から各作品を大胆に採点してみましょう。岡山弁出現度、満点は100点とします。

 ①『本陣殺人事件』で岡山弁を話す人物は皆無。したがって岡山弁出現度0点。②『獄門島』では中高年以上の男性(磯川警部と床屋を除く)だけが岡山弁をしゃべります。岡山弁出現度は50点。③『夜歩く』は0点でもよいところですが、「じゃ」という語尾を多用するお喜多婆さんに敬意を表して岡山弁出現度5点。④『八つ墓村』で岡山弁を話すのは高齢者たちだけに限られますから、岡山弁出現度25点。⑤『悪魔の手毬唄』では老若男女ほとんどすべての村人が岡山弁を使い、これまでずっと共通語話者だった磯川警部まで岡山弁を話し始めました。方言に関する考察も大いに盛り込まれており、岡山弁出現度90点。⑥『悪霊島』も岡山弁が多用されてはいますが、前作より言葉に精彩を欠くように思え、岡山弁出現度85点。6作の採点結果は0点→50点→5点→25点→90点→85点と上下に激しく変動しています。

 そこで「岡山もの」で岡山弁を堪能したいならば『悪魔の手毬唄』を読むべし!ということになります。この作品は前作の『八つ墓村』から6年半ぶり、1957年から1959年にかけて雑誌『宝石』に連載されました。横溝正史は『八つ墓村』から『悪魔の手毬唄』に至るまでのいつかある時期、登場人物の会話に岡山弁を取り入れることがいかに重要であるかを再認識したのでしょう。前作に比べてこの作品では圧倒的に岡山弁の使用頻度が高いのです。作中に「このへんの言葉は純粋の岡山言葉ともちがっていて、たぶんに播州なまりがまじっている。播州なまりは兵庫神戸あたりの言葉に似ている」という記述があることからも、横溝正史が雰囲気づくりのため積極的かつ意欲的に方言を導入したことがうかがえます。

 静養先に岡山県を選んだ金田一探偵は、何はともあれ県警本部に勤務する磯川警部のもとを訪ねます。殺風景な応接室で再会した磯川警部の第一声が「どうしたんです。金田一さん、いつおいでんさったんです」でした。初登場の『本陣殺人事件』以来レギュラーとなっていた磯川警部は『悪魔の手毬唄』の中で初めて岡山弁をしゃべったのです。金田一耕助の訪問が意外だったのと、久しぶりの再会が嬉しかったのとがあいまって、ついうっかり岡山弁が出てしまったのでしょうか。

 さらに、鬼首村で事件の渦中に巻き込まれてからの磯川警部は、それまでとはうってかわって岡山弁を多発するようになります。なにしろこれまでの事件現場の獄門島や八つ墓村とは違い、鬼首村の住人たちは老若男女を問わず、ほぼ例外なく岡山弁を用いるのです。さすがの共通語主義者・磯川警部も、この言語環境プラス興奮のあまり、手軽で気楽な岡山弁モードに切り替えてしまったものと思われます。老郷土史家が殺されたあと、興奮した磯川警部が共通語モードから岡山弁モードへと無意識のうちに切り替えた瞬間。その言語的な劇的瞬間を横溝正史はきちんと描写しています。「『それじゃ…それじゃ…この村のだれかが、こっそり内緒で放庵さんに、みついでいたのではないかとおいいんさるのか』磯川警部は思わずお国言葉を吐きだした」。

 鬼首村の住人の岡山弁使用例をいくつか挙げれば、まず亀の湯の女中さん。「でも、男ゆうたらみんなそうしたもんですなあ。歌名雄さんみたいなおひとまで、あねえなおなごに夢中におなりんさって、やれ、歓迎会やの、やれのどじまんのゆうて騒いでおいでんさる。ほんまにまあ、きょうとや、きょうとや」。なかなか達者な岡山弁です。横溝正史は「きょうと」に「怖いの意」と注をつけていますが、代表的な岡山弁のひとつですね。あるいは仁礼家の当主が亀の湯の風呂の中で金田一探偵に向かって言うセリフ。「わたしゃ先生のお名前をカネダイチと読むんじゃとばあ思うとりました」。助詞の「~ばかり」を岡山弁で「~ばあ」と言いますが、ご当主はきちんと使ってくれています。

 高齢者ばかりでなく純朴な鬼首村の青年男女らも、八つ墓村の若者たちとは違って、岡山弁をしっかり伝承してくれています。スターとなって凱旋帰郷した大空ゆかりの言葉づかいについて、横溝正史は「あまりあざやかな標準語をあやつることが、村のひとたちの反感をまねくであろうということを彼女はよくわきまえているのである。だから歌名雄にむかってつかっている標準語のなかにも、ちょっぴり方言をまじえることをわすれない」と記しています。この記述こそ、横溝正史がこの『悪魔の手毬唄』という作品の中で、いかに方言を意図的に自覚的に用いていたかを物語る、何よりの証拠ではないでしょうか。

 岡山での3年3か月の疎開生活を終えて帰京し、東京での生活を続けるにつれ、横溝正史はあらためて共通語と岡山弁の差異について考察を深めたはずです。そして、今後「岡山もの」を書く機会があれば、その際には、読者に作品世界のイメージを確固たるものにしてもらうため、地域性・土着性を遺憾なく漂わせる岡山弁をあえて積極的に多用しようと決意したに相違ありません。やろうと思えば、自分自身の脳裏に岡山弁を再現することは可能であり、それを原稿用紙に書き写せばいいのです。こうして『悪魔の手毬唄』の鬼首村に燦然と岡山弁の花が咲き開いたのでしょう。

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青山 融(あおやま・とおる) 岡山弁協会会長。映画「バッテリー」「でーれーガールズ」などで方言監修、指導を担当。岡山が生んだ名探偵・金田一耕助、古墳、路上観察など興味の的は多岐にわたる。雑誌「月刊タウン情報おかやま」「オセラ」の編集長など歴任。著書に「岡山弁会話入門講座」「岡山弁JAGA!」「岡山弁JARO?」など。東京大法学部卒。1949年、津山市生まれ。

(2020年09月16日 16時58分 更新)

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