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石井十次は映画普及の先駆者 研究家の世良利和さんが報告書

石井十次と映画の関係をまとめた報告書を手にする世良さん
石井十次と映画の関係をまとめた報告書を手にする世良さん
石井十次
石井十次
 岡山孤児院を創設し「児童福祉の父」と呼ばれた石井十次(1865~1914年)は、日本に映画を広めた先駆者でもあった―。そんな十次と映画(活動写真)の関係を捉えた報告書を、岡山理科大非常勤講師で映画研究家の世良利和さん(63)=岡山市北区=がまとめた。

 岡山孤児院は運営資金集めのため「音楽活動写真隊」を組織し、全国で慈善興行を開いたことが知られている。世良さんは十次の日誌や当時の新聞などを改めて調査し、日本の映画史に十次が果たした役割を検証した。

 十次が初めて映画を観賞したのは、米国から日本に伝来した6年後の1902年。孤児院には当時、演奏とスライド上映を行う「音楽幻燈隊」が存在したが、十次は翌03年には活動写真隊へ改編。米国から機材を購入し、早速全国で興行を始めた。ピーク時には六つの隊を国内外に派遣している。

 世良さんは日誌を読み解き、十次自ら購入するフィルムを吟味して、日露戦争の記録映像を上映すべきか葛藤する姿などを紹介。「米国大統領の閲兵」「ナイヤガラ」など実際の上映作品リストも挙げ、「新しい知識や異国の風物を伝える教養的効果も期待したはず」と推測する。

 また十次は、孤児院の活動への理解と協力を得るため、院内の暮らしや教育などを紹介する実況映像の撮影にも注力した。「当時の“最新メディア”だった映画の特徴を的確につかみ、孤児院の運営に生かしていた」という。

 世良さんが専門とする沖縄映画史でも、上映機会のほとんどなかった島内各地に、十次の活動写真隊が映画を伝えて大盛況となったなど、大きな役割を果たしたという。

 「十次は映画の可能性を十分理解し、効率的な運営資金の調達に成功したばかりか、日本の津々浦々に映画文化を広め、自主製作の流れまでつくった先駆者といえる」と世良さん。だが岡山孤児院の成功により、類似の公演が増えたことなどから、十次は8年間で興行を廃止している。

 報告書「石井十次による映画の興行と製作」はA5判、87ページ。150部刷り、岡山県立図書館や岡山市立中央図書館などに寄贈した。

(2020年08月15日 07時16分 更新)

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