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宇喜多直家の舅の実名書状発見 岡山県立博物館「貴重な史料」

見つかった書状の署名部分。「中山備中守」の文字(右)と、勝政の名前や花押が記されている(県立博物館提供)
見つかった書状の署名部分。「中山備中守」の文字(右)と、勝政の名前や花押が記されている(県立博物館提供)
 岡山県立博物館は4日、備前国一帯の戦国大名宇喜多直家の舅(しゅうと)とされる亀山城(岡山市東区沼)城主、中山備中守(びっちゅうのかみ)勝政(?~1559年)の書状が新たに見つかったと発表した。勝政は江戸期の地誌などから従来は「中山備中守信正」の名で伝わり、実名が記された一次史料は初めて。直家に謀殺され、城を奪われた武将でもあり、「備前国の戦国史研究を深める上で貴重な史料」(同館)という。

 江戸初期に成立した「太閤記」などによると、勝政は備前東部を中心とする戦国大名・浦上宗景の家臣。宗景に対し謀反を企てたとして、同じ宗景の配下で娘婿だった直家に殺された。その後、直家は亀山城を拠点に勢力を広げたことから、同城は「直家飛躍の地」として知られる。

 書状は倉敷市の寺院の所蔵で、縦11・5センチ、横63・4センチ。勝政が「豊前守殿」に使者を送った際の仲介者への礼状とみられる。豊前守は1500年代半ばに龍ノ口城(岡山市中区)城主だった武将、税所(さいしょ)豊前守久経とみられることから、40年代後半~50年代に書かれたと推定。「中山備中守」として勝政の名前と花押が入っており、信正とされてきた人物の実名と判断した。

 同館の横山定総括参事は「勝政は、史料の少ない直家の足跡をたどる際に重要な人物。実名や花押が判明したことで埋もれていた史料が出てくる契機になれば」と話している。

(2020年08月04日 20時43分 更新)

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